尾崎豊は歌った。
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない。
この歌は何を言っておるねん。
勝ち負けで周りと戦うなんて意味がないことだ。
何が良いのかさっぱりわからない。
そう数時間前まで、思っていました。
最近、セッションでよく相談を受けるテーマがありまして、「自分自身がわからない」というものです。
自分がわからなくなる理由は、誰かのために選択をしていること。
例えば、父親を喜ばせるためだったり、母親を悲しませないようにだったり、先生の期待に応えようとがんばったり、仲間と同じように振る舞おうとしたり、世間の常識を守ろうとしたりしていると、自分自身がわからなくなります。
自分ではなく、他人の欲求に応えているうちに、自分を見失います。
自分の期待と、周りの期待が一致していればいいのです。
そういう幸運なことも時にはあるから。
ただし、自分の期待と、周りの期待が一致していない時。
周りの期待に応えると自分自身を裏切ることになるのです。
そりゃ、裏切られたら、自分自身もあきらめちゃったりしますよ。
自分自身に本当のことなんて言いません。
自分の声を聞こうというのは、こういう時に大切。
自分で自分を裏切っている時だから。
で、尾崎に戻るんだけど・・・
ふとバスに乗っている時に
「あぁ、尾崎は周りからの期待に応える自分に勝ちづけなきゃいけないと言っていたんだ!
と突然に閃きました。
つまり、周りの期待を生きるのではなく、自分自身の期待に従う生き方です。
この冷たい街の風に 歌い続けている
周りがどうであろうが、自分の声を表現していくこと。
つまり、「自分がこれをやりたいんだ!」という魂の声を表現し続けることが大事だと歌っているんだなと。
これに気付いて、改めて「僕が僕であるために」を聞いたら、全く別の歌のように聞こえた。
これが気づきであり、認知が変わるということだ。
同じ歌なのに、自分の中での意味が変わるのだ。
自分が変わり、世界が変わるということ。
周りにゴキゲンとりをする生き方と自分のゴキゲンとりをする生き方がある。
あなたは、どちらを選びますか?
自分自身の欲求に素直になりたい人へ
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