アカデミー賞メーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞した日本出身のカズ・ヒロ(辻一弘)さんが、「日本の経験が受賞に生きたか」という質問にんこんな言葉を残している。
こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って、米国人になった。(日本の)文化が嫌になってしまったし、(日本で)夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい。
これ訳が違うんじゃないかと言われ、
「残念ながら私は日本を離れアメリカ人となっている。周りに合わせ従順であることを強要する日本の文化の中で夢を叶えるのは難しく、そんな文化の中で疲弊してしまった。だからこそ私はいまアメリカに住んでいる」
と訳されるのが正しいということが話題になった。
僕自身は日本の文化と言われて同調圧力のことだとピンと来ました。
これは儒教の影響であると僕は考えています。
「年上を敬え」という文化です。
父と子の関係に象徴される無意識化にある常識です。
儒教的な父と子の関係って何かと言えば、「父親のいうことは正しい。子供は無条件で父親に従えば良い。」という考え方です。
「父と子」は象徴であって、この解釈が拡大していきます。
人と人の関係性は、主従関係があるということ。
先輩・後輩、上司・部下、男性・女性、客・店、・・・
年上に無条件に従うことは良いことなのだろうか?
先輩に無条件に従うことは良いことなのだろうか?
上司に無条件に従うことは良いことなのだろうか?
冷静に考えるとおかしいんですよね。
子供の頃は歳の差って肉体的にも精神的にも差があったんだけど、それでも無条件に従うべきは、ちょっと違うよなぁと思います。
特に大人になれば、肉体差も精神差もそれぞれです。
年上だからと言って、正しいことはないし、間違っていることもある。
年上で人格が優れている人もいれば、最悪な人もいる。
年上を敬おうというのは、とても正しい響きに聞こえます。
年上だろうが、年下だろうが、尊重することは大切なのです。
なぜか主従という一方通行になっているのが当たり前だと考えてしまう文化が日本にはあるのです。
人間である以上、人と人は対等であるべきだと僕は考えています。
対等であろうとすると「生意気だ」と言われることもあるし、生意気だなと感じることもあったりします。
文化って学ぶものではなく、環境が作り出す雰囲気で、空気のように当たり前のようにあるもの。
それがあることを疑ってはいけないという不文律もある。
この文化を変えるって、時間がかかることです。
自分ひとりの力で変えることは難しいかもしれません。
少なくとも、自分と自分の周りだけは、対等であろうという人が集まることはできるでしょう。
親は選べないですが、付き合う人は選べるのです。
まずは、自分が実践する。
周りにそんな人たちが集まってくる。
もしかしたらその影響の輪が広がるかもしれません。
自分を不幸にする常識は何か?
そのことに自覚的になり、拒絶する勇気が必要です。
拒絶する勇気が必要なんだけど、どうしたら勇気がモテるのか?
それが自分が好きなことを知り、好きなことをやっていくことが勇気を持つことにつながります。
意外でしょ?
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