小学生相手のワークショップで、何回も子供達に言われて違和感を感じていた言葉がある。
ズルイ
という言葉だ。
- あの子、おかし食べてる。ズルイ!
- あの子達、あそこで遊んでいる。ズルイ!
- あの子、サボっている。ズルイ!
そんなことを言われて「知らんがな」と反感を感じたのだけれど、
「なぜ、そんなことを言うのだろう?」と好奇心を持った。
このズルイって、不公平だという感情から生まれている言葉。
禁止されていることをやっていることに嫉妬を感じているということです。
権威者が決めたルールを破っている人を見て、権威者に言いつけているということ。
- ズルイから、あいつがやっていることをやめさせて。
- ズルイから、わたしにもやらせて。
という二つの意味を持っているようだ。
このズルイという嫉妬の感情は、民主主義を作っている感情とも言われています。
みんな同じという公平性を感じたいから。
この出来事から3つのことに気づいた。
ひとつは、子供って大人のルールに従って生きているということ。
大人のコントロールで生きているということです。
だから、いちいち子供が大人に許可を求めてくるのだ。
子供が、自分の頭で考えるということを放棄している。
大人が決めたことに従うだけなのだ。
そして、ルールを破ったものには、大人が罰を与えるべきだと思っているということ。
ふたつめは、みんな平等でなければならないという思い込み。
わたしもあなたも同じだよねという感覚が欲しいということ。
実際の社会は、不平等です。
すべてが同じ条件だということはありえません。
わたしとあなたは違うということを認識していないということです。
平等の思い込みがあるというどうなるのか?
違ったものを排除する、違ったものに同調を求めるということが起きます。
違いを許さないということ。
つまり、同じでなければならないというコントロールをするということです。
対等であるということは違いを認めあうということなのです。
三つ目は、欠乏神話です。
最近研究しているhappy moneyの本に同じようなことが書かれてていました。
欠乏神話とは、自分たちが「持っていないもの」や自分たちが「やっていなこと」しか見えていないということです。
自分が損をしていると子供達は感じていたということ。
これは、彼らの両親も同じように感じているのかもしれません。
happy moneyから引用します
「この心のうちになる欠乏、この欠乏という考え方は、まさに私たちの嫉妬と欲と偏見と自己主張の中心にあるものです」
すべての自己主張、すべての偏見、すべてのちょっとした行き違いが、「自分が持っていないものを誰か他の人は持っている」という考えをもたらします。それこそがまさに欠乏の中心をなすものです。したがって、嫉妬や不安、欲、偏見に打ち勝つには、欠乏という考え−「不公平」という考えをなくさなければなりません。
この文章を読んで、全くその通りだよなぁと感心しました。
この足りていないという感覚は、餓鬼の状態です。
例えばお金。
子供の頃は100円持っていれば、どんなお菓子を買おうかワクワクしていました。
大人になったらどうでしょう?
1万円?100万円?1000万円?1億円?・・・
いくら持っていれば欠乏感がなくなるのでしょうか?
多くの人に聞くと、お金はあればあるほどいいと答えます。
これ永遠に続く地獄のようなものです。
足るを知るって実際には難しかったりします。
「ある」とか「ない」とかいうのは自分と他人との比較から始まります。
比較しなという高度なあり方が重要になります。
自分はすべてを持てないし、自分はすべてを持っているという感覚が必要かもしれません。
この「ズルイ」という言葉には要注意です。
声にだそうが、心の中でつぶやこうが、ズルイという感覚を持っていることに気づいていましょう。
子供の頃から、ズルイということばかりを言っていることの危険性がありますね。
もっと子供達は自由を味わう時間が必要なんだろうな。
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