とある瞑想について学んでいます。最近では、瞑想もマインドフルネスといって普通に企業にも取り入れられています。
とある瞑想は、仏教の教えがベースとなっているんだけど、日本人は無宗教者でも仏教の考え方が生活の中にあるのでわかりやすいです。
そこで気づきのワークをしています。気づきとは何かを実体験をするということ。
僕が学びに行ったところでは、「私の言うことを信じないで下さい。自分が体験したことだけを信じて下さい。」という実践主義なところが好きです。頭でわかっただけの人が話をすることほどつまらないことはないですから。
そのワークの中で1円玉を使ったワークをしました。簡単です。親指と人差し指の間に1円玉を挟んでおいて落とさないようにすることだけ。それで瞑想をしたのですが、日常生活でやってもいいということ。
気づきって何気なく使っている言葉なんだけど、それはどんな意味なのでしょうか?
それまで見落としていたことや問題点に気づくこと。「小さな気付きが大発見につながる」「日々の気付きが成長をもたらす」「生徒の気付きを促す」
goo辞書より
うん、そうなんだけど、気づきってちょっとニュアンスが違います。ないものがあるものに変わるくらいの大変換点が気づきだという意味だと僕は思っています。
僕が実践していてわかった1円玉のワークで面白いのは、1円玉のことを忘れても1円玉を落とすことはないということ。そして、時々、あぁ1円玉を持っているんだなと気づくことです。
でも、布団で寝ちゃうと朝起きたら1円玉は落ちていました。
僕が気づいたことは、気づきとは意識だということ。
気づきには、集中が必要だということ。
気づきは、あるはずのものがない状態だったものが、あるものがあるという状態になるということ。
気づきは一瞬にしてすべてがわかるということ。
実際に1円玉を持っていただけなんだけど、「そうか!」と思わず膝を叩きなるような気づきがやってきました。
この気づきは人によって違うこともあるだろうから、実際に1円玉のワークを試してみるのもいいかもしれません。実体験を伴わない気づきは薄っぺらいものですから。
で、気づきから考察を深めていきます。
はっ!気づいたのはこういうこと。意識していなかったことが意識下できることが気づきだと。無意識を意識できるということが気づきだと。潜在意識は現実世界と訳すとここではわかりやすいです。その世界を意識できているかできていないかということ。頭に浮かんだのはこのマトリクスなんですよね。このそれぞれの状態を考えていくと
こんな感じになります。
①意識的にも潜在意識にもある状態が「気づき」
②意識的にはある、潜在的にはない状態が「傲慢」
③意識的にはない、潜在的にある状態が「迷い」
④意識手にも潜在的にもない状態が「教育」
①の気づいている状態が理想です。瞬間にはあるかと思いますが、なかなかに継続することは難しいかもしれません。
③は迷っている状態です。そこに気づきがあれば解決に向かいます。この状態が一番多いかもしれません。
②は勘違いしている状態です。だから傲慢と表現しました。知っているつもりになっている痛い状態です。裸の王様状態ともいえるでしょう。
④は知らないことを知っている状態になれたらいいですね。意識的にも潜在式意識的にもないなら学ぶことが必要だという意味で教育と名付けました。知らないことはずっと知らないことですから。
気づきとはあることをあると認識していることです。
あることを忘れている状態が日常です。
自分に気づいているって本当に大事なことです。そして究極の目指す姿なのかもしれません。
あなたにとって気づきって何ですか?
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