加害者と被害者とは、人が集まると無意識に起きる人間関係の力学に基づいた言葉です。
力があるものを加害者、ないものを被害者と呼びます。
力とは、権力であったり、自己肯定感だったり、社会的なポジションだったり、物理的だったり、心理的だったり、様々な力学が関係してきます。
プロセラピスト上田正敏です。
2回(問題解決思考の2つのパターン、問題解決手法は1つなのか?)に渡って、この問題の解決方法について考えてきました。
簡単にこれが解決方法だということは言えません。
考えれば考えるほど難しい問題です。
加害者側が解決すればいい。
という答えにいきついてしまいます。
このパターンは、国が問題を解決するべきだという考え方にも似ています。
自己責任論ではなく、社会責任論です。
被害者側からのアプローチは自己責任論に近いものがあります。
小さな個人も変えることができる力を持っているということです。
どうしたら問題解決できるのでしょうか?
対話をするという解決方法があります。
話せばわかるというのは、日本人的な感情論です。
会話(カンバセーション)はできるけれど、対話(ダイアログ)ができないのが日本人と言われています。
さらには討論(ディベート)もすることは苦手です。
なぜなら、議題に対して議論するのではなく、人格否定につながる議論になってしまうから。
つまりは話ができないというなのです。
正確にいえば、対話をしたり、討論をしたりする経験がないので、難しいということ。
村社会の歴史の影響があり、言わなくてもわかってくれる文化が根強くなるからでしょう。
村八分にならないように、自分の意見を持つことを否定してきた歴史があるからかもしれません。
対話が成り立つ条件は、対話をする人たちが同じゴールを見ることです。
これがなければ、対話は成立しません。
もうひとつの条件は、お互いの考えや価値観が対話の前後で変わる勇気を持っているかです。
頑固にも変えようとしない人たちでは、対話は成立しません。
対話をするためには加害者側の意識が大きく影響します。
被害者側からのアプローチは、対等性を持つために時間とエネルギーを使うことが必要不可欠になります。
解決方法はあるのでしょうか?
発想の逆転をしていましょう。
本当に問題を解決しなければならないものでしょうか?
問題を解決しないという方法もあります。
解決するということを手放す。
問題は解決しなければならないというのは思い込みかもしれません。
解決できることと解決できないことを分けることができればいいということを言っている人も多いのです。
解決できたとしても、できなかったとしても、解決しなくてもいい。
もしも、そう思えたらどうなるでしょうか?
問題解決をしないとソワソワしたり気持ちが悪いかもしれません。
問題を解決しようとしている自分は気持ちよかったかもしれません。
問題を解決しないことへの感情を受け入れいることができるかが鍵となります。
たくさんの問題を抱えても幸せであることはできるのです。
問題解決をしなければ何をするのか?
自分が好きなことをすることです。
周りがどうであろうが、自分が好きなことをする。
そんなメンタリティが大切になります。
加害者の影響を受けない被害者になるということ。
つまりは、被害者と加害者の関係性を終わらせるということです。
誰かや何かの影響を受けて生きるのか?
自分の心に従って生きるのか?
他人をコントロールすることはできません。
加害者がコントロールしたり、被害者がコントロールすることにエネルギーを注がなくなったら・・・
他人は他人であり、自分は自分であるという線引き。
問題を解決しないという問題解決方法もひとつの選択です。
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