聞こえない場で対話をしようというダイアログ・イン・サイレンスに行ってきました。
以前に赤坂で体験したダイアログ・イン・ザ・ダークという完璧な暗闇の中での体験が忘れられずに、五感のひとつを遮断した状態で何を感じるのかという好奇心のままに行ってきました。
聞こえないからこそ見ることの大事さを味わってきました。
プロセラピスト上田正敏です。
体や心と向き合う時に大切な要素は五感です。
見ること、聞くこと、触れること、嗅ぐこと、味わうことは、外部の情報を自分の中に取り入れる方法です。
もし、五感がなければ、自分以外のものを感じることはできません。
つまり、相手を感じるためには五感が必要だと言うこと。
そして、相手とわかりあうためには対話が必要です。
対話は言葉だけのものなのでしょうか?
ダイアログ・イン・サイレンスでは、音という言葉以外でコミュニケーションをするということを体験しました。
音が聞こえないということは、見ることがとても大切になります。
コミュニケーションにおいて、人は何を見ているのでしょうか?
相手からの情報をえるために表情や身振り手振りをみます。
相手に伝えるために、表情を豊かに、身振り手振りで伝えます。
表情を作ったりとか、身振り手振りって、言葉の奥にある、感情がよく伝わります。
人柄まで動きにでると僕は思っています。
言葉のない世界を味わって見たい人にオススメです。
アテンドのカリンさんがエンターテナーでとても面白く、あっという間に時間が過ぎました。
彼女の案内で、音のない世界でのたくさんのワークをするのですが、大きな気づきをえました。
ジェスチャーゲームをしたのですが、言葉がないからルールがわからないんです。
どんなルールなのか手探り状態で始まります。
僕はそこで思いっきりルールを勘違いしていました。
なので、ルール外のことをして、失敗したのです。
でもね、この失敗をしたことでルールを理解することができました。
ルールがわかってなくてもやることが大事なのです。
やってみる、失敗する、そして理解するというプロセスを体験しました。
もちろん失敗するのは恥ずかしいです。
でもね、恥知らずのことのほうが楽しいのです。
誰かがチャレンジしているのを見ているのも楽しいですから。
失敗は笑いにもつながります。
人をゆるめる効果もあるのです。
誰かが失敗することで、他の誰かがわかることがあるのです。
失敗って必要不可欠だなというのが大きな気づきでした。
ダイアログ・イン・サイレンスで、残念なことが2つほどありました。
聞こえない状態にするためにヘッドセットをするのですが、周りの音も声も聞こえるのです。
全くの静寂の状態ではないのです。
サイレンスの状態を味わいに来たのに、ここは残念なところです。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、光が1ミリも入らないように、徹底的に遮断したというこだわりだったそうなので、完璧なる暗闇でした。
そこでの体験が衝撃だったので、ダイアログ・イン・サイレンスは、二番煎じの劣化したコンテンツなのかと思った次第で。
だって、音が聞こえるから。可能な限りの静寂な無響室なみのクオリティを求めている人には、物足りないかもしれません。
ダイアログという部分も弱いかもしれません。
サイレンスの体験が終わった後に、振り返りだったり、本を作ったりとワークショップ的な対話の工夫があったのですが、これはコンテンツの力を補うためのものだったのかなという印象です。
音のないサイレントな世界でダイアログという対話をするのを体験したかったなと。
サイレンスの中での出来事は、パントマイムのワークショップや演劇ワークショップの表現教育のほうが気づきが多かったという印象です。
静寂ならではの対話がしたかったなと。
アテンドのカリンさんと。ハンドサインはアイラブユーで。
聴覚がない状態ってどうだろう?
と思った人は体験してみるといいかもしれません。
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