「汝、自身を知れ!」と昔の偉い人が言っていました。
自分のことを知っているのか?それとも知らないのか?
あなたはどう思いますか?
プロセラピストの上田正敏です。
自分を知っている自分もいれば、知らない自分もいます。
それだけ複雑なものです。
自分を知っているというのは、どんな状態でしょうか?
自分を知るという行為は、言語化できているのか。
自分自身を言葉で表現できるということです。
自己紹介って自分を知ってもらうためにします。
名前だったり、仕事だったり、住んでいることだったり、好きなことだったり、これからしたいことだったり、自分が知ってもらいたいことを相手に伝えるのが自己紹介です。
これって全部言葉で話しますよね。
「これから自己紹介で歌います。」
「これから自己紹介で演奏します。」
「これから自己紹介で踊ります。」
「これから自己紹介で絵を描きます。」
「これから自己紹介でパフォーマンスします。」
という人に会ったことありますか?
歌う人は以前にいて、これも自己紹介だと衝撃と感動を受けたことがあります。
非言語では自分を認識しているということは、まずありません。
認識というのは言語です。
知るというのは言語化されていることだと断言できます。
自分の中にあることを言語化できることは少ないかもしれません。
冒頭の偉い人らは「汝、自身を知れ!」と言っておきながら「無知の知」ということも言っています。
知らないということを知っているということですね。
そうなんです。
言語化していない自分は知らない自分と同じです。
知っている自分。
うすうす知っている自分。
知らない自分。
の3人が自分の中に同居しています。
知っている自分は言語化されている自分です。
うすうすは何かあるとわかっているけれど、言語化されていないモヤモヤしている自分です。
知らない自分は、存在すらわかっていない自分です。
これどれくらいの割合というとわからないですね。
きっと言語化している自分なんて3%くらいなのではないでしょうか。
自分を知ることに大事なことはたくさんあるのです。
仕事にも趣味にも恋愛にも使えます。
みんなどんな人なのか知りたいと思っています。
表面的な部分だけでなく本質の部分を見たいと思っています。
例えば、好きなことを仕事にする時に、自分を知ることなしにはできません。
自分が何が好きなのかを知っているか?
そもそも好きになったのはどうしてなのか?
なぜその進路を選んだのか?
自分を深掘りしていくことが重要です。
自分の源泉に近ければ近いほど「あー!」という満足感や安心感がえられます。
たまたま進んだ道だったり、嫌々進んだ道だったとしても、意味が必ずあります。
それを知ることが自分を知るということにつながります。
自分を知るという行為は、癒しにもつながっているし、生きる力にもつながっています。
個人セッションやワークショップで、気づいた人たちの泣いたり笑ったりしている顔は輝いています。
その瞬間に立ち会えた時に、この仕事をするために生まれてきたのかもと思ったりしています。
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