好きなことを仕事にしようとした時に、それを宣言する時に抵抗を感じる時があります。
それは世界を危険なところだと信じているから。
もしも安全なところなら危険を冒しても大丈夫だと思いませんか?
プロセラピストの上田正敏です。
世界は安全なのか?それとも危険なのか?
どちらなのでしょう?
世界の安全な部分を見ている人は安全だと感じています。
その人はポジティブに世界を見ています。
世界の危険な部分を見ている人は危険だと感じています。
その人はネガティブな世界を見ています。
ポジティブ、ネガティブは感情にすぎません。
ポジティブな人は他者に夢を与えることができるし、ネガティブんを感じている人は現実的に実現する力を持っています。
どちらも必要なんです。
好きなことを仕事にしようとした時に、最初にテストマーケティングをします。
初めて「お試し」やってみるというということをします。
学んだこと、考えたことを他人に試してみないことには、自分の実力は上がっていきません。
世界に誰にもあてはまる正解はありません。
自分で実験と検証をする必要があります。
だから、やってみないとわからない。
でも、やってみることが怖い
でも、やってみることが恥ずかしい
でも、やってみることが悪いことのように感じる
そんな感情が湧いてくることがあるのです。
特に恥ずかしいは大きな障害になっているのではないかと思っています。
恥ずかしがる人は新しいことをしたがりません。
自分が知っている範囲のことしかしようとしないのです。
それ以外のことをするのに抵抗してしまうんですね。
恥ずかしいという感情は、人間が集団生活を送るために必要な感情だと言われています。
なぜならこの感情がなければ、自分が得になることしかしないし、集団のためにならないことばかりをしてしまうから。
人が集団としてまとまるために恥の感情があります。
新しいことをするには、この恥の感情といかに付き合うかが鍵を握っています。
安全か、危険かの話からちょっとズレました。戻します。
社会が危険だと思っている人は、社会を敵だと思っています。
周りにいる人たちを敵だと信じている。
これは幼少期や思春期の体験が関係していることが多い。
勇気を持って社会に表現している人を見た時に、なんなんだアイツと反感を持ったり、ふざけんなアイツと敵意を持ったり、あんなヤツ無視しようぜと無関心になったりする人は要注意です。
なぜなら、自分が相手の立場になった時に、社会のみんなが反感、敵意、無関心の感情を自分自身に向けられるのではないかと思ってしまうから。
どうすればいいのか?
周りの人たちが新しいことを始めたりチャレンジしているなと感じたら応援するのです。
新しいことを始めたんだねと受け入れます。
チャレンジしているだね勇気をもらえるよと喜びます。
新しいことは何をしているのと興味を持ちます。
自分が応援をしていれば、他人からも応援してもらえるのではないかと予想をするのです。
そうすれば世の中は安全かと思えるかもしれません。
自分が周りの人たちを応援する存在になる。
もしもそんな社会になったらもっと面白くなるだろうな。
フリースタイル個人セッション・ワークショップ情報はこちら
http://www.yoriyoku.com