世田谷パブリックシアターで行なわれている演劇ワークショップ「生と性をめぐるささやかな冒険<男性編>」に参加しています。
今回が3回目。生と性をめぐるささやかな冒険<女性編>の観劇もワークショップに入っているので正確にいうと4回目です。
女性編のアフタートークでお決まりのウーマンリブなノリに違和感を感じていたり、女性の良いところなんてないじゃないかと思ったりもしながら参加した会でした。
人の出足も遅く、ボチボチと人が集まり始めるスローなスタート。
ファシリテーターの柏木さんを中心に男性陣の参加者と情報を共有しあう。
興味深いのは、女性編では個人の生々しい傷跡を話すというわけでなく、一般論へと話が流れていく。
そして、男子特有のくだらないノリになっていく。
いわゆるゲスな話になっていくのだ。
今までは「男性ってアホだなぁ」と思うくらいでした。
あれっ?なんかあるんじゃないかと洞察を深めてみました。
女性は攻撃的であり、男性は調和を重んじる生き物ではないのかという気づきがありました。
女性って社会から抑圧されていると感じている人が女性問題を扱うことが多い。
そうでなければ、生と性を考えるワークショップには参加しないでしょう。
不当に扱われているという怒りが根底にあるのだろう。
極めて攻撃的な側面を持っている。
「そうだ!そうだ!」と声高らかに叫んでいる印象だ。
男性編で感じているのは、問題を問題とせず、笑いに変えようというエネルギーを感じる。
生と性の話はワイ談なのだ。
ゲスな話としての文脈を持つことで、誰も傷つけ合わないように気を使いあっている。
肉体としての男性は凶器にもなりうる。
最後の最後まで追い込まれなければ暴力という手段は使いたくないのだ。
極力、殴り合いにならないように、会話の中で調整がされている。
それが男子特有のアホさがコミュニケーションを円滑にする手段になっているのではないか。
これは幼い頃より男として育てられる過程において自然に身についたもの、もしくはDNAに刻まれているくらいに当たり前のことなのかもしれない。
平和的な解決をしようとするがためにアホなのだ。
男性が多く集まっている場をサル山に例えたりするけれど、あれはあれで平和的な解決になっているのではないだろうか。
殴り合いの最終形は戦争だから、サル山くらいの争いは平和なものであろう。
ワークショップの話に戻ると、来週月曜日にささやかながら稽古場での発表会が行われれる。
その演目を考えながら練習をする。
くだらない(笑)
どうしてもこうもくだらないのだろう。
くだらなすぎて笑うしかないのだ。
これが男性の性に対する認知の表現になのだ。
そういえば、アメリカに「セクシャリティ」というテーマのセラピーのワークショップを受けに行ったことがある。
その時の男性ファシリテーターが、アメリカの社会では、セクシャリティをまじめに語ることは難しい。
なぜならそういう文化なのだ。
スラングだったり、変な笑い方をするかもしれないけれど、そこはわかってもらいたいと言われたことを思いだした。
向き合うことがとても難しい課題なのだ。
特に社会性を持った性の話は難しいのだ。
最近の女性誌でも「夫婦関係をよくしよう」という特集の時には売り上げが激減するそうだ。
もう諦めている人も多いのかもしれないけれど、女性が社会進出するようになって、性の話をしずらくなっているのが原因かもしれない。
社会性というのは男性性のエネルギーを持つ。
女性がスムーズに社会に進出をするには時間がでしょう。
何千年?何万年も男女の役割が分担されていたのだ。
男性が時間をかけて作り上げたのが今の社会。
男女が共同で社会を作るとどうなるのであろうか?
パブリックとプライベートの壁がなくなるのであろうか?
個人と社会という構図になるだろうか?
どんな未来創っていきたいのか?
そこが問われている。
ただ、これだけはいえる。
世界はどんどんと良くなっていく。
■ソース・ ワークショップ
ワクワクという切り口から自分を知るための現代版自己探求プログラムです。
http://www.yoriyoku.com/source
■個人セッション
心と体を統合することで過去が変わり今が変わり未来が変わります
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm
■ライフチェンジ・プログラム(個人向け)
よりよい人生を歩みたい方へ!
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm