心を探求する前提条件について書いている第三弾です。
心の探究をしていると罠に落ちることがあります。
それは、自分がすごい奴になったという錯覚から生まれます。
自分の意識が変わるとそんなことが起きるのです。
いわゆる意識高い系も同じ原理です。
プロセラピストの上田正敏です。
今日は、心の世界を探求する時に落ちる闇です。
例えば、こんなことを言っていたらダークサイドに落ちているかもしれません。
もし私がやったことで、あなたが傷ついたならば、それはあなたに意味があって起きたことだ。
この言葉、ある意味で間違っていません。
ところが間違ってもいるのです。
真実であり真実ではないのです。
意味があるかないかを決めるのは自分です。
基本的に起きていることには意味はありません。
意味づけをしているのは自分です。
これは認知と呼ばれているものです。
それを他人に押し付けてはいけません。
起きている現実は1つだったとしても、それを経験している人の数だけ幻想という現実があります。
客観というものはありえず、すべては主観しかないともいえるのです。
本当の現実とは何か?
と言われれば人の数だけあるのです。
現実は1つ。認知は無限なんです。
それがこの世界の現実なのです。
起きたことに意味があるんだけど、あなたにも意味があると押し付けるのは不健全な態度です。
特にセラピストと呼ばれる立場の人がこれをやっている姿を見ると僕は悲しくなります。
ただ、この道は心の探求者として通る道なのです。
そして、自分がすごい人間だという幻想から目覚めるととたんに恥ずかしくなるのです。
まるで子供に自我が芽生えて恥ずかしさを覚えると同じように。
精神世界というのも奥が深いことだしステキな世界なんだけど、特別なことでもないのです。
探求のプロセスの中で不思議な体験をしたり、感受性が上がったりするかもしれませんが、普通のことです。
足が速かったり手が器用だったりするのと同じくらいの才能のひとつに過ぎません。
その意味を決めるのは自分です。
特別と意味付けてもいいし、普通だと意味付けてもいい。
ただそれを他人に対して押し付けないということが大切です。
この認知の話は興味深いところです。
■ソース・ ワークショップ
ワクワクすることをしよう!していることにワクワクしよう!
http://www.yoriyoku.com/source
■ライフチェンジ・プログラム
よりよい人生を歩みたい方へ!
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm
■個人セッション
心と体を統合して今が変わり未来が変わります
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm