僕の周りには教育関係視野が多い。
社会人はもちろん、学生たちへの教育現場で熱心な人が多いのだ。
学級崩壊という言葉を聞いたのは何年前のことだろうか。
僕らに時代は無条件に「先生はえらい」という風潮がまだあった。
それが崩れていく兆しがあったが。
学校の2曲化していく傾向があると思っています。
学ぶことが楽しいという子たちと、学ぶことが苦痛だという子たち。
いわゆる偏差値が高い子たちが楽しいと思っていて、低い子たちは楽しくないと思っている子たちが多いのではないかと思っている。
義務教育の段階で、学ぶことが楽しいということを教えらるのが理想でしょう。
実際に人生を振り返るとずっと学び続けている。
学ぶということは学校のお勉強だけではない。
好奇心がある分野のことを知りたいと思うし、できるようになりたいと思う。
そこに初めて学ぶが生まれます。
学校の勉強が嫌いでも、趣味の分野では誰よりも知識があり実力もある人がいるでしょ。
自分で創意工夫する楽しさを知っているということだ。
学ぶことが楽しくない、苦痛だと思っている子たちが集まると授業が成り立たないようだ。
興味がないから学ぼうと思わないし、ただのひまつぶしのための時間となってしまう。
学校が学びの場ではなく、居場所にしかなっていない場合もある。
なんかもったいないなぁと思うのです。
義務教育が終われば、学力に応じて学校が振り分けられる。
勉強が好きだった子たちは、そういう子たちで集まっていく。
優秀な高校には、各地で優秀な子たちが集まってくる。
そこで成績があるから順位が決まり、トップからビリまで決まるのだ。
成績上位だった子たちが下位になって自信を失うケースもある。
「地元じゃ負け知らず♪」という歌詞もあった。
これもあるモノサシで測った結果にすぎない。
ある視点から見て、トップからビリまで順位づけがされているだけ。
他のモノサシから見れば順位はいくらでも変わる。
起業なんかする人たちは、自分自身が優秀になれる分野で活躍している。
居場所を選んでいるのだ。
勉強が得意な子たちが集まっている学校と勉強が苦手な子たちが集まっている学校がある。
そこで同じ授業をすることに意味があるのかと思ったりする。
机に座って学ぶことが得意な子たちと、苦手な子たちがいるのに同じような授業をするのか。
好きなことたち、得意なことたちは、どんどんと才能を伸ばしていくだろう。
その逆は…
昨日聞いていたラジオで「まじめだけど勉強ができない」という話をしていた。
ふまじめだけど勉強ができる子もいる。
ほんと個人差があるのだ。
若いうちに自分が得意な学び方を知ることができ、それに合わせた教育システムがあればいいと思う。
そんなことを考えていて、ブログが書けなかったんだけど、言葉にすることができた。
このテーマについて多くの人と対話をしたお陰です。
ありがとうございました。
今の社会問題って、原因がひとつではなく複雑系になっている。
僕にできることはわずかなのかもしれないけれど、コツコツとやり続けることが大事。
ちなみに僕は体験しながら学ぶことが好き。
最初はマネから入り、自分で創意工夫をしていくのが好き。
そして、知ったことを分かち合うことで完結する。
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