僕はこの言葉に衝撃を受けた。
「自分の現実を創っているのは自分だって?」
世界は生まれる前からあったし、僕がいてもいなくても動いているものだと思っていた。
自分を見つめているうちに「本当に創っているかも」と思ってきた。
だって、その人に感じているストレスを外すと、嫌いな人がどうでもいい人になったりするんです。
どうでもいいとは、ほとんど気にならなくなったりするんです。
ましてや、関係性が良好になっていったりしたんです。
それでも、自分で現実を創っているとは思えませんでした。
この言葉は実に奥が深くて、時おりパラダイムシフトが起きる。
「あぁ!」という気づきで、言葉に対する洞察が変わっていくのだ。
「好きなこと仕事にしたいなぁ」
「この人と結婚したらどうなるんだろう。」
そんなことを思っていたら、現実にそうなってしまった。
これも段階があって、このぼんやりとしたイメージからスタートして、自分を見つめたり行動したりしているうちに、イメージがさらに明確化していく。
イメージのはじめはピントがあっていない写真みたいなもの。
それでもエネルギーをかけていくとピントがあってきて、
「あぁ、こういう現実を求めているんだ!それやりたい!」
と見えてくることがあるんですよね。
それを次々に実現していっても「自分の現実を創っているのは自分なのです。」という言葉は「そうかもね。そうだよね。」と思っているくらいでした。
とある時にメンターと話をしていて「僕はいつでもお金を作れるし、その気になったらすぐになりたいものになれるんです。」と話をされました。
本当に、これをやりたいと思ったらどんな方法を使っても実現する人でした。
その時に頭の中の配線がガガガっと音を立てて変わった気がしたのです。
「自分の現実を創っているのは自分なのです。」
という言葉がわかったんです。
本当にそうだ!その人が現実を創っているんだ!ということがわかったのです。
言葉にすると単純で、
「できないと思っている人はできないし、できると思っている人にはできる。」
ということなのです。
認知心理学的にいえば、物事を見ているのは人それぞれなんです。
誰もが同じ世界を生きていると思っているだけで、実際には、その人が見たいように世界を見ているだけです。
本当の現実なんていうものはないのです。
みんな自分が見たいように見ているバーチャルな世界なようなものです。
だとしたら・・・自分が現実を創っているということを認めたとしたら・・・自分の人生を自由自在に変えることができるのです。
そこにはルールがあって、変えることができることと、変えることができなことがある。
ゲームはルールがなければ成立しないし、面白くないのです。
変えることができないことは受け入れる知性が必要だし、変えることができることは変えたければ変えるようにすればいいのです。
自分の現実を創っているのは自分なのです。
この一文に魅せられて、ずっと人の不思議を探求していくのだろうなと思った朝でした。
今日も良い1日を!