僕はいわゆる「受験戦争」世代。今では偏差値なんて言われないのかなと思ったら、そんなことはないようですね。教育関係者と話をしていると「評価」について色々と思う人が多いような気がしています。
学校ではテストがあって、社会人になってからも資格試験とかテストがあったりします。みんなテスト好きなんだなと感心してしまいます。元々はテストは理解力の確認のためにあったんだと思うのですが、今では評価の意味合いが強いのではないかと思っています。
テストって点数が高ければ良くて、低ければ悪いと評価されます。平均点だと普通とかね。平均をとるのもそうなんだけど、テスト結果を統計処理してわかりやすくするために偏差値が生まれたんだけど、偏差値に一喜一憂することになったりします。偏差値で学校を選ぶということが多いのではないかと思うのです。
中学校の時には学校で成績が一番であり、難関高に合格したら最下位なんてこともあるんですよね。もちろん、逆もあったりします。成績優秀者が集まって評価されたら上から下まで順番がつきます。成績が悪い子らが集まっても評価をしたらこれまたトップからビリまで決まったりします。
僕自身は、順位が高ければ喜ぶタイプだし、成績を上げたいと思う生徒でした。運良く成績は上位にいたので自尊心が傷つかない学生だったのです。
ところが大人になった今でとあることで評価されたらすべてが平均値以下だったり、下から数えたほうが早い順位だったりしたことがあります。シンプルに落ち込みました。自尊心がダダ下がりです。ただの数字に落ち込んで「ダメな人間だ」「消えてしまいたい」とか思っちゃうんですよね。実際に10代の自殺率のトップはイジメではなく成績に関することなんだそうです。
成績をつける必要はあるのでしょうか?
あると便利だからあるんですが、疑問に思うことです。成績をつける側も体験したのですが苦痛です。機会的に評価をするのが楽なんです。それはテストなんですよね。点数で順位をつけるのが一番楽なんです。
僕が学んだ心理セラピーは、創始者が「テストは必要ないという」という考え方を持っていました。みんなが自由にのびのびと学んでいました。その反動で「正確なテクニックは何か」「あれが正しい、あれは間違っている」とこだわる人たちもいたりもしました。基準がないからです。
創始者が言っていたのです。「興味を持っている人はテストをしなくても自主的に学ぶ」と。僕はこの考え方に衝撃を受けたのです。30歳の頃だったかな。これ実際にそうだったんです。やる人はやるし、やらない人はやらない。無理やりさせることに意味はなかったんです。テストというストレス要因がなければ、自分のペースで学ぶことができることを実感しました。
人の評価って国語算数理科社会という軸だけではできないのです。いわゆるテストですね。もっと色んな評価軸があってしかるべきだし、自分の得意・不得意を知ることのほうが重要なんですよね。学校で評価されない人は、きっと社会で評価されることがあるのです。場所を変えたら評価も変わるものなんです。
もし評価がない世界になったら、社会はどう変わるのかな?
よろしければ、あなたの考えを教えて下さいね。
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