最近の大学生たちに「みんなで決めてね」とお題を投げると、LINEを使ってすぐに多数決を取るという話を聞いた。
その人は、話し合って決めてほしいという意図があったようで、すぐに多数決をとるのはどうかと思うというようなことを言っていた。
LINEにそんな機能があるんだ!と驚いたんですが、そういう話ではありません。
多数決をとるものじゃないの?と1970年代に小学校に通った僕は思ったのでした。
記憶をたどると学級会なるものがあって、最後に多数決をとって決めていたよな。
民主主義ってそういうものでしょうと思って育ってきた。
民主主義は少数の小さな声を大切にするというような話も聞いたことがありましたが、結局多数決をとるんだから大多数の大きな声で決まるものでしょうと思っていた。
実際に世の中を見ているとそう思う事例が多い。
話し合いで決まることの経験が絶対数少なく育ってきている。
とあるセラピー指導者養成講座で「べリング・ザ・キャット」と呼ばれるワークをしたことがある。
ネズミたちが話し合いをするという設定だ。僕たちネズミは毎日ネコに食べられている。このままでいくと僕たちは全滅してしまう。なんとかして、ネコに鈴をつけてネコが近づいてきたらわかるようにしたい。どのようにすればいいのか?
というもの。
小一時間話し合っただろうか。あの人がやればいい、主催者の人がやればいい、指導者の人がやればいい、じゃんけんで負けた人がやればいい、いや、くじ引きでやればいい・・・
全員が合意したものだけが決定されるというもの。つまり誰か一人でも反対者がいればその意見は却下ということだ。
いやぁ、楽しいほど決まりませんでした。
この演習でのまとめは「合意形成は難しいよね」ということでした。
ここまで話し合いをすることあっただろうかと思うくらいに話をしました。そして、だんだんと早く終わらないかなと険悪なムードになったりしたり、笑いが絶なくなったり、個人の感情もさることながら集団の感情も大きく揺れ動きました。
とあるワークショップの講座では、1週間後の小学校へのワークショップをどうするのかについて合意形成をした時には、講師の先生から指導がありながら2日間体験と話し合いが行われ2日目の最後に「振り出しに戻そう」という話になった時には笑うしかなかったですね。実際にその後はとても良いワークショップができたのですが、面白い体験をさせてもらいました。
合意形成ってエネルギーも時間を使うんですよね。
本当に民主主義をやろうとすると、一人ひとりが当事者意識を持ち、参加者全員を尊重し、時間もエネルギーもお金も使うことにコミットする必要があるのです。
いや、ほんと、めんどくさいんです。
合理的な考え方をすれば、話し合いもせずに多数決で決めちゃうと楽なんです。
また、積極的にやりたい人にまかせちゃうというのも楽なんです。
楽なんだけれどそのツケを払うことも歴史を見れば起きることなんですよね。
「どうでも良いことは流行に従い、大事なことは自分の芸術に従う」というようなことを言ったのはまどみちおさんでしたっけ?
民主主義ってもしかして終わっているのもしれないと思ったりもします。
かといって、これが今現在ではベターであるのかもしれません。
6月に30℃を超えたりするから難しいことを考えたりしたわけで、たまにはこんなことも良いかもしれない。
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