9月2日(月)のあまちゃん。
未だに整理がついていない自分を発見する。
2011年3月11日(金)に僕は何をしていのか。
インフルエンザで寝込んでいました。
しかもその時期は、青年団の演劇入門に参加していて演劇を作っていました。
その舞台が日曜日というタイミング。
演劇の舞台なんて学芸会以来という時で、なんとかして参加したいと必死になって寝ていました。
「頭がクラクラしてきたのか。。。あぁ、熱が上がって来ちゃったのか。」
と思ったのがあの揺れでした。
体は病んでいたのだけど何かスイッチが入ってしまい興奮してなんか変な感じになっていました。
テレビをつけてずっと見ていたり。
うちのかみさんが歯医者で隣町に行っていたことを思い出し、どうしているのかなと思ったのもしばらくたってからでした。
しばらくしたら歩いて帰ってきました。
ちょっとホッとしたら親のことを思いだしたのです。
そうやって自分に近いところから世界がだんだんと広がっていくかのように周りが見えて来たんです。
これが気が動転しているという感じだったのでしょうね。
このこと以前とこのこと以後は、僕の中で大きな変化でした。
今でもその変化の真っ只中にいます。
完全には癒えていないのでしょう。
ちなみに公演はスケジュールは延期できないということでしたので、やるかやらないかの選択でした。
それは参加者に委ねられていて、他のメンバーたちが集まって話し合いをしてくれて決まったのです。
参加不参加は自由となり、僕は参加することを選びました。
何人かは不参加でしたが他のグループに協力してもらい幕が上がりました。
僕よりも大変だった人はたくさんいます。
あの時を味わった経験による傷は、それぞれがそれぞれに持っているのだと思うのです。
で、あまちゃんを見てですね、なんというか忘れようとしていてたことを改めて思い出したのです。
辛いことは忘れたいのです。
でもね、忘れちゃいなけないこと、風化させちゃいけないことってあるのです。
トンネルの先にある光。
暗い道で足下は見えない。不安や恐怖という実体のない感情が自分を襲う。
それでも「ゴースト バスターズ!」とオバケをやっつけて前に進むしかないのです。
もしかして、光の先に行っても見えるのは希望の光ではなく、現実かもしれない。
それをちゃんと見て、受け入れることでしか、前に進むことはできないのだ。
朝ドラというある種の嘘に、大事な真実を垣間みた感じがしました。
まだ、ドキドキが止まりません。
今週のあまちゃん、今月で最後のあまちゃん。
みんながそれぞれに感じて、それぞれに考えて、それぞれの持ち場で動いていくために必要なドラマな気がしてなりません。
物語の力ってすごいな。