かまってちゃんとは?
- ・自分を大切にしてくれる人を探すことに全エネルギーを傾けている。
- ・依存心が強く粘着性がある。
- ・悲劇のヒロイン(ヒーロー)だという思い込みが激しい。
- ・何事も自分に都合よく解釈する。
- ・なんでも他人のせいにしがち。
というのがかまってちゃんの特徴です。
自分のことをわかってほしい、認めてほしいという承認欲求は強いのですが、傷つきやすく、そのため人と深くかかわることを避けたがり、自分の殻に閉じこもっていく傾向が顕著に見られます。
このような状態を「なんちゃってうつ」と呼ぶ人もいます。
しかしそれは必ずしも「心を病んでいる」わけでなく、「自分のことをわかってほしい、認めてほしい」という承認欲求が満たされないことへの不満が、ねじれた形で言動にあらわれているのだ、と私はとらえています。
この本の前書きから引用しました。
メンタルトレーナーの上田正敏です。
最近、かまってちゃんについて研究しています。
依存心というものは誰がもが持っていますが、これをこじらすと、いわゆる「かまってちゃん」になるようです。
自立ができずに依存のままでいると承認欲求が激しくなる。
認めて欲しい、わかって欲しい、愛して欲しいというのが承認欲求なのでしょうか。
最近、増えているという話を聞きます。
そうなんですか?
自分自身がこの依存のステージから自立のステージに上がり、相互依存のステージに上がることを考えてきました。
依存の人とどう付き合うかについては、ほとんど考えてきませんでした。
どうつきあうのですか?
基本的に、どんな人と付き合うかは選ぶことができると僕は考えています。
そして、自分自身がクリアであれば、そんな問題は引き寄せないと考えています。
常に自分を見つめるというのが仕事柄考えていることです。
本人が気づくのを待つしかない。
そして、変わる選択するしかない。
と思ったりもしています。
子供の頃の依存のステージは楽しかったりもしました。
思春期の頃の反抗期を迎えて自立に変わっていくステージも今を思えば楽しい思い出です。
子供から大人になる過程って、いろいろありますよね。
自立をして、一人でがんばってがんばってがんばって、折れたりもしました。
一人ではどうしようもない。
そんな時に助けてくれる人がいたことに気づく。
そこに感謝が生まれたら相互依存のステージに上がれる。
それを当たり前だと思ったら依存のステージに下がっていく。
基本的に僕自身は自己責任と考える人なんですね。
自己責任って自分で選択したことに責任を持つこと。
責任を持つからこそ自由が手に入ると思っています。
自己責任と反対の考え方は、社会制度の仕組みの問題だと考える。
これもあるんだけれど、基本は自分なんだなと思ったり。
社会の仕組みだと考えると、自分に何ができるかといえば、話を聞くことですね。
話を聞くことは少しはできるんじゃないかと思うのです。
聞くって大事だよね。
と思考の途中のまま、ブログをアップします。
みなさま、色々と教えてください。
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