地域の物語ワークショップ5日目。
今回は宿題がでていた。
街なかの「ふたり」をじっくり観察してきてください。
そして、自分の好きな形でアウトプットしてきてください。
う〜ん。難しい宿題でした。パスしようかなと思ったり(笑)
朝ちょっと早くでてドトールで1人作戦会議。
「ふたり」でいる人がイメージよりも少ない。そして、「ふたり」でいるのに「ひとり」を感じることを詩を作りました。
詩を作るなんて・・・夢にも思わなかったわ・・・
今日は、るいるいの先導で体ほぐしからスタート。
ぐるっと輪になって隣の人の足を揉みます。
自分の目の前にで揉み解している足は隣の人の足。自分が揉まれているのはその逆隣の人。
目の前にあるのが自分の足でない不思議。自分が揉んでいるのとは違う反応が起きている。3つの足が脳内で解け合っている感じでした。
ぐるっと輪になっているので、全員が全員の脳に影響を及ぼしているんだろうな思ったり。
不思議な一体感でした。
そして各自の宿題の作品を見合いました。
あみだくじでトップバッター。
何も説明せずに、ただ詩を読む。
説明しちゃうとつまらなくなるんだよね。言葉にひっぱられてその場を見るのが難しくなる。
説明は後でもいいし、なくてもいいと思うのだ。
発表は、十人十色。何を観察しているのか、どう表現するのか、バリエーションは無限にありますね。
見ていて思ったのは、自分の目で観察して表現した人と、イメージや記憶を膨らませて表現した人の差があったこと。
自分の目で観察して(インプット)、表現をする(アウトプット)人の作品は、つながれた感じがあったんです。
その場にその人そのものがいたという感じ。
ところが、記憶から表現する(アウトプット)人のは、何か分離している感じがしたのです。
その人の中のイメージの中で、その人のイメージが演じているので、何か別世界の僕にとって関係ない話に見えたのです。
演じられているのは記号化された無機質なもの。
同じように感じたのは、人の目を通したものを見て、表現をした人も同じように感じたのです。
その人がその場にいない感覚。いるのにいない感覚。
「リアルに体験したことしか伝わらない。」という言葉を思い出す。
自分が経験したことって思っていた以上に重要なことではないかと再認識しました。
演劇全く関係ないですね(笑)
その後、それぞれの作品を同時多発で行なったり。演出をつけていろいろと試したり。
かなり面白かったみたい。自分では全く見えないから。
これはビデオで撮影していたので明日見るらしい。
また何をするのか楽しみだ。
「ふたり」って何だろう?
これも考え続けたい。
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