やりたかったけれど、できなかったこと(その1)

今までの人生で「やりたい!」と思っていたのに、様々な理由でできなかったことはあるだろうか?

そして「できなかった」ことを忘れることはできただろうか?

 

なぜ、「やりたい!」と人は思うのでしょうね。不思議です。

しかも、この「やりたい!」という気持ちは、人によって何をしたいのかが違うのです。

これを個性と呼ぶのでしょう。

 

本当にやりたいと思っていたことは、本人がやる必要があることだからやりたいと思うのでしょう。

 

時にはそれができないこともあります。

あきらめる事情があったり、誰か他の人の助言に従ったり・・・

それは、自分に準備ができていない時だったということです。

脳神経学にいうと人は選択するのに1秒もあれば十分だと言われています。

この選択は、意識的に選ぶというよりも、直感的に選んでしまうに感覚。

選べない時は準備ができていないこともあるのです。

 

あぁ、できなかった・・・

 

そんな想いで人生が終わるのでしょうか?

いいえ。いつでも選びなおすことができます。

 

形は変わるかもしれないけれど、選ぶチャンスは必ずやってきます。

「それは何時か?」と聞かれたら、「何時でも」と答えます。

その考えが頭に浮かんだ時にはそう思うのです。

 

僕にもやりたかったけれど、できなかったことがはあります。

ずっと子供の頃から昆虫や動物が好きでした。

なぜか興味を持っていたのです。

高校1年生の時に進路の適性検査を受けました。その時の判定で「医師・薬剤師」という判定がでました。

「うわぁ・・・そんなにお金がかかるコースは無理だわ。」

と思ったのです。そして1年後に同じようなテストを受けた時の判定は「理学・工学系」の判定がでていました。

「生き物」から「人が作ったもの」に興味を変えたのです。

 

そして、大学は理工学部電子工学科に入ったのです。

これが面白いもので大学4年生で選択した研究室が「生き物の特徴を工学的に応用する」研究をしていたのでした。

脳神経学の工学的応用の研究をそれから3年ほどしたのです。

人間の神経も電気信号だし、電子の情報伝達もコンピューターも電気信号で動いているし、インターネットも電気信号で動いています。

まぁ似たようなものなので。

 

就職はまた電気関係の会社の研究開発部門に就職したのだけれど、営業と開発が手を組んだプロジェクトに入ったり、組合の仕事をさせられたりもして、人間に関わる方向に勝手に進んでいました。

でも、それもなんか嫌だったと思っていたのです。

今だからわかるんだけど、高校生の時に否定したからね。

嫌いなものは嫌いと決めたら、それを意地でも守っている自分がいるんです。

だって好きなものを嫌いと決めて、それを守り続けないと自分が自分でいられなくなると思っていたから。

 

さらに、友人から紹介で心理セラピーの道を知り、それで独立起業までしたのです。

それから12年経った今気づいたのです。

「あぁ、やっぱり高校生の時に思っちゃったことを形を変えて実現してるんだわ。」

それに気づきました。

このルーツに気づいた時にびっくりしたんです。

ずっとそんなことを望んでいたのに、それをあきらめていたのだとね。

今できなかったとしても、いつかはやることができるようになるのです。それを選べばね。

 

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