映画「天気の子」を鑑賞。
もうレンタルしているかなと調べたら、まだ劇場公開中でした。
映画館で観れて良かったです。
実写なのか絵なのか、リアルな映像で、ファンタジーの中に自然と入っていけました。
特に今年の台風の未来予想をしていたのではないだろうかと思うくらいの怖さもありました。
ネタバレが入るかもしれませんので、まだ観ていない方は、ここから後は観賞後に読むことをオススメします。
芸術やエンターテーメントって、時代の空気を読んでいるなと思うのです。
しかも、未来予想的な時代の変化を感じ取って、作品にしているものが名作と呼ばれるのではなかろうかと。
天気の子の天気は、晴・曇・雨のような天気だけではなく、時代の流れ・空気を読む・気という見えない世界を表しています。
今の時代を息苦しく感じている人がいるということ。
それが異常気象となって現れているのではなかろうかと。
異常気象と呼ばれているものも、本当に異常なのかわからない。
縄文時代の関東平野って、平野ではなく、海だったり湿地だったりしていたんです。
神社があるところは岬だったという説もあります。
余談ですが、山の尾根の入り口にも神社があって山岳信仰説もあったり。
川は低きを求めて自由に流れ、山も平地になるように崩れるって重力があるから当たり前のこと。
あの富士山でさえ、火山が爆発しなければ、遠い未来には平地になるのです。
今までの映画で、例えば、ジブリの「もののけ姫」は、人間vs自然の戦いを描いていたと考えています。
で、この天気の子は、個人性vs社会性vs自然性を描いているのです。
自然には逆らえないから受け入れるしかないという自然性。
生き残るために村や人類が大事だよねという社会性。
人間という抽象的なものではなく、個人が大切という個人性。
100人の人が亡くなった震災が1回あったという社会性や自然性、1人の人が亡くなることが100回あったという個人性という表現をしてもいいかもしれません。
人柱、生贄、人見悟空、スケープゴート、村八分、村などの集団のためには犠牲が必要だという考え方。
哺乳類だと仲間のための自己犠牲があったりするので、集団のために個人を犠牲にするということは、感情が関係しているのかもしれません。
この天気の子は、自然を受け入れ、社会とは何かと疑問を投げかけ、個人を大切にすることがテーマなんだと感じました。
個人の意志や幸せが大切なんだということです。
世の中は、どんどん豊かになってきています。
豊かになればなるほど、個人が大切になってくる。
まだ、社会のルールや空気感は、個人を大切にするということに慣れていない。
個人と集団の関係性に摩擦がたくさんあるのだ。
人類としては、過渡期にいるのです。
そして、まだ適切な解決策は見つかっていない。
今の生きている人たちの課題だということです。
集団よりも個人を大切にして良い時代が来ているんだよというメッセージを受け取りました。
ずっと雨が降っているのを見ているとブレードランナーだと思うのは僕だけかな?