日本人の美徳として「察する」という文化があります。
これ昔は良かったのです。
が、今は無理なのです。
メンタルトレーナー上田正敏です。
忖度という言葉が今年流行りました。
これも察するということです。
何も言わずとも相手の欲求を推測して叶えることです。
これ無理。
現代社会では間違いなくこういえます。
忖度は、権力を持っている人が、それに従っている人を支配するやり方ともいえます。
なぜ、昔はできて、今は無理なのでしょうか?
日本は村社会です。
土地に人が縛れていた時代が長かったのです。
いわゆる村社会です。
人々は村で生まれてその村で死んでいきます。
生まれた時から周りの人たちは、自分のことを知っている人たちです。
どんな性格なのか、どんな趣味嗜好なのかを知られています。
また、周りの人たちも子供の頃から見ているので、どんな人なのか知っています。
お互いがお互いを知り合っている世界です。
こういう社会ではコミュニケーション力は必要ありません。
あえて言わなくてもわかっているから。
これが戦後に変わります。
日本中で人が動き始めました。
すると様々な村で育って来た人たちが出会います。
すると何が起きるのか?
地域性の違いをネタに盛り上がったりします。
言葉や食べ物をはじめ考え方や価値観が地域によって違うからです。
今までの村での常識は通用しません。
インターネットが発達した現在、村だけでなく、日本を飛び出して世界の人とつながれるようになりました。
すると、さらに言語、文化、宗教、民族が違う人たちと接する機会が増えます。
今までの日本での常識は通用しません。
米国や欧州ではコミュニケーション教育が当たり前のように行われているのは、みんなわかりあえないということを前提にしているからです。
日本人の考え方は、人と人はわかりあえるというのが前提になっています。
これは村社会のでの考え方。安心社会です。
わかりあえないが前提の社会はどうなるのか?
これ争いの社会になるかと思えば、そうではないのです。
みんな一緒が良いという考え方だと、どちらが滅ぶまで争う社会になり平和にはなりえないのです。
わかりあえない社会は、信頼社会です。
わかりあえないけれど、相手を信頼をしていこうという社会が構築されていきます。
社会学の実験では、米国人のほうが日本時よりも相手を信頼しているという事実があったりします。
人を信頼していないから国に頼ろうとする人が多いのです。
映画をみるとわかりますよ。
日本のヒーローは官僚で、アメリカのヒーローは民間ですから。
アメリカ人を考えればイメージがつきます。
彼らは自己主張が強いです。
なぜなら、黙っていては相手に伝わらないことを知っているから。
察してくれるという文化はありません。
黙っているとはいないと同じことです。
尊重して静かにしておいてくれるということでもありますが。
異文化の国ではコミュニケーションをとることが大切です。
聞くこと、話すこと、伝わること。
技術も大切になります。
自分と相手の違いを尊重すること。
自分と相手が同じという不健全な一体感を持たないこと。
多くの人と関わるならば、自分と対話して真の欲求を知ること。
自分の欲求を相手に伝えること。
相手が聞いてくれても聞いてくれなくても、自分が欲求を叶えるために動き続けること。
これが大切になります。
相手が察してくれるまで待つというのは不健全な態度です。
察してくれとは甘えです。
赤ちゃんの頃のお母さんにしかできない芸当です。
周りの人たちはあなたのお母さんではないのです。
現代において察して欲しいという依存的な欲求は捨てて、健全なる自己主張をしていきましょう。
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