起業支援(その5)

サラリーマン脳と経営者脳があることにある時に気づきました。

サラリーマンと経営者の考え方があきらかに違うのです。

会社にいる時にも、管理職ではない人でも経営者のふりをして分析して語っている人は多いです。

僕もそうでした(笑)

実際に会社を辞めて、個人事業主として活動したら、いかにその時の考え方が幼かったのはよくわかります。

ここでのキーワードは考え方、つまり思考法です。

 

例えば、

問題があって、それに愚痴を言うことはバイトでもできる。

解決策を提案することができるという考え方もある。

解決に向けて自ら行動してリーダーシップを発揮する方法もある。

 

言動から自分がどの段階でいるかでその人の在り方がわかるのです。

 

僕自身は、サラリーマン脳から経営者脳に変わるまでに3年くらいかかっています。

そしてそれからも進化を続けています。終わりがない成長ですね。

 

考え方って学んでわかることもあります。知識として知っている段階。

実際に体験をして、腑に落ちたという智慧の段階もあるんです。

さらには、人に伝えることができる段階もあります。

この伝えるという行為も深いです。

どのように伝えたり教えたりするかはとても難しいことです。

それは人それぞれの経験が違うからなんです。

 

わからなくても学んでおくということの必要です。

この時には受取力が必要になりますね。

素直な心です。

 

全部自分の中に取り入れてから、疑問を抱んです。自分の体験から検証することが大切です。

ただ、疑っているのもサラリーマン脳なんですね。

言葉って便利なようで不便。

伝わっているようで伝わっていないのです。

真意は何か、本質は何か、それに耳を傾けることも重要です。

 

サラリーマン脳から経営者脳に変わるためには学べばいいのです。

そして実体験で経験を積むことです。


起業支援(その4)

起業というのは起業する人だけが関係しているのでしょうか?

そうでもないんです。

会社に勤めている人も起業家精神は必要なんです。

起業家精神を持っている人を会社に例えると「自分株式会社」という言葉に象徴されます。

 

仕事のやり方を考えると、会社員か自営業というように2つに分けられます。

この違いは何でしょうか?

仕事の成り立ちを考えれば、全員が自営業だったのではないでしょうか?

1人で仕事をするよりも集団でやったほうがいいと誰かが気づいて組織を作ったのでしょう。

それが会社の原型です。1人でやるよりも複数でやったほうがいいという利点があるからです。

仕事の種類によっては、個人でやるほうがいいのか、会社という集団でやったほうがいいのか。違うのです。

例えば、ダムを造ったりするのは、きっと個人では無理でしょう。

様々な技術を駆使している製品を初めから作るのも難しそうです。

役割分担をしてお互いが得意なことをして協力しあえるのが会社の最大のメリットです。

会社に属していてもいなくても自分株式会社は成り立ちます。

 

会社内でも自分株式会社でいるというのはどういうことでしょうか。

僕が会社に勤めている時に感じていたのは、時間を会社に売っているという感覚。

時間給のバイトと同じでした。

これは、自分株式会社の考え方ではありません。

では、自分株式会社を自覚している人はどんなメンタリティなのでしょうか。

自分が会社に対してもサービスを提供しているという感覚です。

与えられた仕事をするだけでなく、自分から仕事を作っていくような。

自分が他者に与えられるか考えられるかがポイントになります。

僕は会社員の時には、「会社は何もしてくれない」という不満を持っていたんですが、今となっては恥ずかしい話です。

 

これからの時代は、もしかしたら会社もなくなるかもしれません。

会社がなくなってしまったとしても、仕事をしていくことができるのか。

会社から離れたとしても誰かから仕事を頼まれるとか、誰かを集めて仕事を立ち上げていけるとか、何もできないかもしれないけれどいつも呼ばれる存在であるとか、会社に関わらず仕事ができる能力は必要になるでしょう。

雇われなくても仕事ができるという力が必要になることでしょう。

そんな人が会社にいたら。会社にいても自分らしく仕事をしている人もたくさんいます。

会社の垣根をこえて活動している人もいるのです。

これからは個人が活躍できる時代となり、プロジェクト毎に人が集まり、プロジェクトが修了すれば解散する。

一人でも仕事ができるし、大勢でも仕事ができる。

そんな力が必要な時代がきていると思います。

自分株式会社。自分で選択して責任をとることができるような力が必要になると思っています。

僕の起業支援は生きる力を養うサポートです。

#起業支援のサービスの案内はもうちょっと待って下さいね。

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起業支援(その3)

僕の想定している起業支援どんな人が対象かいうと、「好きなことを仕事にしたい」という人です。

好きを仕事にできるというのは、今の時代の今の日本だからできることです。

親の世代などの先人のお陰で物質的にとても豊かになりました。

ありがたいことです。

次の世代に僕を含めて今の大人が何ができるかといえば、仕事に生き甲斐を持ち、人のために役立つ仕事をし、多くの時間を笑顔でいることではないでしょうか。

人生の中で一番時間を使っているのは仕事です。

英語で忙しいはbusyであり、仕事は Businessです。ビジーとビジネス。仕事とは忙しくしていること、つまり多くの時間を過ごしていることです。

多くの時間を過ごすのであれば、好きなことを仕事にして、好きなことに時間を投入したほうがいいと思いませんか。

ただ、自分が好きなことだけしていればそれは仕事になるのか?

そんなことはありません。趣味ということもあるでしょう。

 

僕にとっての仕事を定義すると、

「仕事とは他者の役に立つこと」

です。

 

仕事といった場合には他者が関係してきます。

他者をどれだけ喜ばすことができるのか。

当たり前なことなのですが、忘れがちになることも多いことです。

自分だけのことを考えているだけでは仕事にならないのです。

いつでも他者の存在も感じる必要があるのです。

さらには、その先にある社会も感じる必要がでてきます。

自分が笑顔でいて、自分と関わる他者が笑顔でいて、その先にある社会の人たちの笑顔を想像することができるのかが鍵となります。

 

好きなことをしているとワクワクしてきます。

このワクワクという感情がとても大切です。

このワクワクという感情が他者に伝染していきます。

ワクワクしている人の話って興味を引かれるのです。

ワクワクしている人を見ているとこちらも楽しくなってきます。

そして、やってみようかと思ってしまうのです。

 

子供たちに「どんな仕事をしたい?」という質問をすると元気に答えてくれます。

その答えを聴いていると、楽しそうに仕事をしている大人を見ることで、その仕事がいいなと思うようなんです。

子どもが憧れを持つのは楽しそうにしている大人なんです。

 

僕も楽しそうに仕事をしている人を見るのは好きで、何がいったい楽しそうなんだろう?と興味をひかれます。

仕事にするくらい好きなことをしている人ってそれだけで魅力があるんです。

そんな人にいろいろと教えてもらいたいのです。

 

例えば、僕の場合、大人になってから演劇に興味を持ちました。

演劇って当たり外れがあって、ほとんどが外れで面白くないという話も聞いていました。

興味を持ったことは好きでありたい。そう思ったんです。

幸いにも演劇を楽しそうに仕事にしている友人が多々いました。

どんな演劇を見たらいいのだろう?相談をしました。

すると、「こういうのがいいんじゃないかな」と教えてくれます。

「この演劇はね・・・」と見る前から前のめりで語ってくれます。

作家さんや俳優の背景の話まで教えてくれます。

しかも観劇の後も一緒に飲みに行ってくれたりして、いろいろと教えてくれました。

劇場のバックヤードまで見せてくれたりもしました。

僕は思ったんです。

好きな人が語る話には力が宿る。

と。

お陰で演劇が好きになりました(笑)

楽しみ方も知ったし、ご縁がご縁を生んで舞台に立つこともできたり。

 

好きなことを好きなだけして、他者にも喜ばれる。

子どもに憧れられるような大人になる。

そんな起業をする人を応援しようと立ち上がりました。

 

■2月16日(土)17日(日)ソース・ワークショップ
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起業支援(その2)

自己成長も僕のライフワークのひとつです。

起業と自己成長って関係あるのでしょうか?

 

僕は学びが好きなので本を読む他にも様々なコミュニティで出入りしていました。

実際にいろんなことで学びを深めていきました。

そこで、様々な人たちを観察していてわかったことがあるのです。

成長する人と同じところに留まっている人がいるのです。

その人たちは、基本的にはよりよくなりたいと思っている人たちです。

でも、2通りの人たちがいるのです。

人の状態を3つに分けて考えます。

1)マイナス状態
2)ゼロ状態
3)プラス状態

です。この状態から目的別に書くと以下の3つのような人がいます。

1)マイナス状態からゼロ状態を目指す人たち。
2)ゼロ状態からプラス状態を目指す人たち。
3)マイナス状態からプラス状態を目指す人たち。

そういう人たちが学びの場にいます。

ところが実際にはどうなっているかというと・・・

1)プラス状態の人がさらにプラスになっていく。
2)ゼロ状態の人がゼロ状態に居続ける。
3)マイナス状態の人はマイナス状態に戻っていく。

というようなことが多いのです。もちろん例外はあります。

特にマイナス状態の人でゼロ状態に近づくとマイナス状態に戻っていくパターンが多くあるのです。

このパターンは現代における苦行ではないかと思っています。

 

プラスをプラスにできる人とそうではない人の差は何か?

 

ずっと観察を続けてわかったことがひとつあります。

プラスをプラスにできる人は分かち合いをしている人なんです。

つまり、自分が得たプラスを社会に還元すると決めている人たちです。

 

自分と向き合い得たことを社会に還元していく。

社会に還元する時ということは社会貢献です。

社会に貢献するということは仕事になるということです。

 

実際に仕事として還元している人たちは、よりよくなるという方向性に進んでいました。

還元する方法としては、仕事が一番わかりやすく簡単なことです。

 

自分のためだけに自己成長をしようとする人たちはどこかでつまずいて元の状態に戻ることが多い。

ところが、他人のためにも自己成長しようとしている人たちは、自らも成長しながらも周りの人も成長させていくのです。

 

自分の問題を解決したらそれは社会に還元すべきことなんです。

それが健全な態度だと思っています。

 

起業するということも様々な問題は起きるのです。

その問題をひとつひとつ丁寧に向き合うことで成長が加速していきます。

起業することで、様々な壁にぶちあたります。

それを乗り越えていくことで成長するのです。

自分と向き合わなければならないこともたくさんでてきます。

感情的な問題、思考的な問題、行動的な問題、環境的な問題・・・

ひとつひとつ向き合って乗り越えていくことで自分が磨かれていきます。

また、その過程も周りの人たちに勇気や希望を与えることにもなるのです。

起業というのは新しい自分に出会う旅なのです。

それは挑戦しがいのあるの大切なことだと思っています。

 

起業という時をよくみると、業を起こすと書きます。

自分の業を見つめることで、精神的にも物質的にも豊かになる道だと僕は思っています。

起業することは自分の可能性を追求することであるし、社会貢献であるし、自分を磨いていくことにもなるのです。


起業支援(その1)

今年は起業支援に力を入れていく予定です。

なぜ起業支援なのか?

理由は大きく2つあります。

 

1つはセラピストとして起業して12年が過ぎました。

その中で、セラピストとして起業したいのだけれど起業できなかったり、起業しても失敗する人を数多く見てきました。

僕よりも腕が上だと思う人もかなりいました。

なぜなのか経験から考えました。

起業したての頃は、技術さえあれば起業できると思っていました。資格さえあれば起業できると思っていたのです。

ところが、実際には違いました。

良い技術を持っている人ほど「良いものは黙っていても伝わる」と思っていたりしますが、現実は違います。

技術があるのは当たり前。さらに何ができるかを人に伝えることが必要なのです。

言葉で人に伝えるということ。これが起業に不可欠です。

起業してから何に一番力を入れていたかというと、「仕事のやり方」です。つまりビジネスとは何かについて学びました。

会社員時代は研究所にいたので、ほとんどお客さんに接する機会はありませんでした。

会社にいたのだけれど、会社の仕組みはよくわかっていなかったのです。

一から勉強です。わからないことは学べばわかるようになります。

 

知らないことは知ればいいのです。

僕は試行錯誤しながら今でも仕事をさせていただいています。

技術向上はもちろんのこと、人に伝える技術も学び続けています。

自分が学んできたことを分かち合う必要があると去年くらいから強く思うようになりました。

12年前の僕自身に「何が欲しい?」と訪ねたらきっとこう答えるでしょう。

「今、何をすればいいのか道を教えてくれる人が欲しい」と。

全部、教えてくれる必要はないのです。そのキッカケが欲しいのです。

人それぞれ違うので、成功法則も人それぞれ違うのです。

なので、それを探すことになっていくのにはとっかかりが欲しかったです。

これからの社会は、個人をサポートしていくサービスが必要不可欠になります。

そんな仲間を増やしていきたいという想いもあるのです。

社会をよりよくするために活動をしていきたい。

それには個人の力を超える必要があると痛切に感じているのです。

 

人をサポートする人を応援したい。その人たちが起業する力になりたい。

これが理由のひとつです。

もうひとつは・・・僕のライフワークである自己成長に関係があります。

(続く)


受けとることと与えること

「自分を磨き成長するためにはどうしたらいいのか?」

これは僕のライフワークのひとつです。

最近、ホームパーティーに招かれていいなぁと感じ、僕も今年はホームパーティーで場作りをしていこうと思っています。

なのでいろいろと観察をしていてわかったことがありました。

 

主催をしている人は余裕がある(笑)

豊かさがあるから分かち合っているのです。

分かち合っているから豊かなのかもしれませんが(笑)

 

そこで、ふと思ったのです。

 

与えてもらったら、与える必要があるのかなと。

誰から何かをしてもらい嬉しかったら、自分もまた誰かに何かをしてあげる。

受け取ったら与えるという循環が大切なのではないかと。

 

受け取ってばかりの人もいて、不思議と不幸そうにみえる人も多いのです。

受け取って受け取って受け取って・・・インプットだけだと淀んできます。

アウトプットする必要があるのです。それは与えることかもしれないし、捨てることかもしれません。

 

受け取り上手な人もいます。こちらも与えているだけで嬉しくなる人。

ここで関係性が完結しているようです。

どんどん与えたくなっていきます。

素直であり謙虚な人であることが多いような気がしています。

 

与えることが前提で受け取る人もいます。

スポンジのように吸収していくし、わからないことがあれば質問もする。

積極的で清々しい人が多いような気がします。

 

受け取ったら与える必要がある。これは人間が社会を作るために必要だし、これがあるから文化が育つのだなと思いました。

自分が学んだことや経験してきたことは教えていく必要があるんだなと実感しています。

40代からは人に与える割合が増えていくようにするのが精神を健全に保つ秘訣ですね。


教育とは興味を持たせること

世の中の教育事情も混沌としています。

先日、テレビを見ていたら様々な教え方があるんだなと思った。

理解していない人に合わせる教育。理解している人に合わせる教育。

親切丁寧に教える教育。教えない教育。

授業型の教育。ワークショップ型の教育。

詰め込み型の教育。ゆとり教育。

 

古今東西ベストな教育は人それぞれなのかもしれません。

個人的な適正の問題だけでなく社会的な要因もあるのでしょう。

教育って、どんな大人を育てたいのか、どんな社会にしていきたいのか、どんな未来を創っていきたいのか、そんな要因に左右されてきます。

 

いろんな教育方法がありますが、僕は教育も一番の目的な「興味を持つこと」という目的以外にはないと思っています。

教育とは外的な要因。

教えてもらう側からみると、求めて教えを請うか無理矢理教えられるか(笑)

教える側からみると・・・う〜ん。。。なんでしょ。人それぞれ目的や意図がありそうです。

 

僕はなぜか、子どもの頃から「先生にはならない。」と心に固く誓っていました。

どうしてそう思ったのかは謎なんです。

母方の親戚には先生が多かったりするんですが、特に嫌な想いをしたことはないし、学校の先生方には恵まれていました。

 

先生にはならなかったのですが、教育法にはとても興味があるのです。

「教育とは、何だ?」という問いが先生でもないのにいつもあるのです。

人が人に影響を与えることはすべて教育だと思っているのかもしれません。

 

僕がいきついた答えは「興味を持たせること」ということ。

興味を持てば、自発的に学ぶようになるのです。

「知りたい!」という人間なら誰もが持つ好奇心に火をつけられるか。

それが鍵になると思っています。

究極的には、学びたいと思わなければ学ぶことはできないと。

知りたいと思わなければ、知ることはできない。

始まりはいつも自分から。そして他者との交流により学びが深まっていく。

さらに人に教えることで学びが最高点に達します。

そして、また次の学びのステージに上がっていく。

 

先日開催した、ボディ・トーク・ワークショップは、キネシオロジーの基本と僕が今到達している最高点を伝えました。

決まったカリキュラムも作らずに、だいたいの方向性を決めて、その場の空気を読んで進みました。

僕個人の経験だけでなく、参加者の経験も学びの場にでてくると何かがそこで起きるのです。

人生丸ごとをかけた学びの方法論を作っています。

例えるなら小学校の授業と大学院の授業の混合です。

結果、とても満足していただいたようで僕も一安心。

次回は1月31日(木)です。これ定期開催してみようかな。

 

人それぞれの人生経験を尊重しながら、人それぞれの興味に火をつけながら、僕の知的好奇心と仮説検証も含めながら「学び」を極めて行く1年にしていきます。


権威との葛藤(その5)

権威との葛藤のまとめです。

権威との葛藤とは・・・

権威に対して敵意を持つ事である。

 

そのことにより

自分が権威を持つ事を恐れる事である。

 

すると

周りの人たちに自分を与えることをしなくなる。

つまり

社会性の欠如が起きる。

ということである。

 

権威との葛藤の態度としては2種類ある。

従順に従う良い子になるか、何にでも反抗する悪い子になるか。

 

権威との葛藤を解消する鍵は、

権威者の立場を理解する事。

権威者とコミュニケーションをとる事。

自分の影響力を自覚する事。

である。

とまとめてみました。

サポート

言葉でいうのは簡単です。

実際に権威との葛藤を抜けるためには、誰かの助けが必要かもしれません。

思考レベルだけでなく、感情レベルのことが関係しているからです。

僕にできることは、個人セッションなどでサポートすることですね。

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)

権威との葛藤(その4)

権威を自分自身に取り戻す。

これは僕が心理セラピーを通じて一貫して伝えていることです。

権威を誰かに何かに明け渡していると自分自身はどこにもない状態になります。

子どもは誰だに育ててもらわないと一人では生きていけないので依存しています。

それが第一次反抗期、第二次反抗期を経て、自立をしていきます。

それが大人になっていくということです。

第一次反抗期にあたる幼年期、第二次反抗期にあたる青年期の体験が権威との付き合い方に大きく影響をしています。

権威に従順に従う人もいれば、権威に徹底的に反抗する人まで様々です。

もし、大人になって生きづらさを感じている人は、健全な自立ができていないのかもしれません。

社会

今日は社会との葛藤の話をします。

権威との葛藤をしている人で、社会的に幸せに成功している人には皆無です。

なぜなら、成功するというのは、お金を稼いだり、地位をえたりしていきます。

これは何を意味しているかといえば、他人に影響を与えていくということなのです。

社会的な活動というのは、誰かの何かの役に立つことです。

簡単に言えば、誰かを笑顔にすることです。

多くの人を喜ばせたり、一人の人をむちゃくちゃ喜ばせたりすることの結果として、お金が入って来たり、地位が上がったり、名誉が手に入るのです。

権威的な部分をゴールにしていくと何がなんだかわからない状態になることも多いです。

 

権威との葛藤がある人は、自分自身が権威を手に入れることを恐れています。

お金持ちになったり、社会的な地位をえたり、名誉をえることを極端に嫌います。

なぜなら、権威との葛藤がある人は、お金持ちが嫌いだし、権力を持っている人が嫌いだし、名誉がある人が嫌いです。

嫌いな理由は多々あるでしょう。

この嫌っているというのも、意識的にわかっている場合もあれば、無意識で気付いていないこともあります。

 

権威は影響力です。どれだけ多くの人に深く影響を与えるのか。

極端に走れば、権威との葛藤がある人は隠遁者になります。誰にも会わずに影響を与えようとしない。

人と接することを極端に減らしていることさえあります。

 

僕も権威は嫌いでした。

お金持ちは悪い人だと思っていたし、社長や上司は悪い人だと思っていたし、政治家や力を持っている人は悪い人だと思っていました。

水戸黄門などの時代劇で「越後屋、お主も悪よのう。」と殿様や家老という権力者と儲かっている商人が手を組んで庶民に悪いことをするという物語を当たり前のように見ていたからかもしれません。

徹底的に反抗をするという方法をとりました。

これって何も考えないでとても楽な方法です。

権威者が言うことに「No」といえばいいだけだから。

あれもNo! これもNo! みんなNo!

子どものイヤイヤ期かっ!(笑)というくらいに反対していればいいのです。

この反抗は、権威者がいなければ成り立ちません。

権威者がいることで、はじめてNoが言えるのです。

あたかも自立をしているようで、権威者に依存をしている状態なのです。

「だったら、自分でやってみろ!」っていいたくもなるんです。

 

でもね、自分ではできないんです。

なぜなら、自分から事を起こして何かをしたら権威者になる。

権威者になってしまったら、自分が権威者にやっていたように、誰かに攻撃されると思っているからです。

それは恐ろしいことです。

 

他人の権威者を否定すればするほ、自分に権威がなくなっていきます。

えっ?そうなの?と思う人もいるでしょう。

そういう人は、他人の権威を失墜させれば、相対的に自分の権威が上がると信じています。

ここ、ポイントです。違うのです。

他人の権威を奪えば、自分の権威も奪われるのです。

そのことによって、自尊心の欠如が起こります。

自己イメージも低くなれば、元気でさえもなくなります。

案外、社会問題を扱っている良い人に見える人たちに多いのです。

反対したり怒っている時だけ、元気なのです。だから反抗しているのでしょう。

 

で、僕もご多分に漏れず反抗をしていました。

権威にたいして反抗をしていたのです。

今よりももっと多くの人に、社会に役立つ人になろうと決めた2012年でした。

そう決めたけれど、なかなか、動けない自分ににモヤモヤしていたりもしていました。

リーダーシップを発揮して、よりよい社会にしていこうと思っているのにです。

そこでテーマとして「権威との葛藤だな」と直感的に思いました。

自分が権威を持つ事に恐れを感じているのです。

その前に、権威に対して敵意を持っていないか考えてみました。

あったんです。大物が。

いろいろな経緯はあるんだけれど、あきらかに濡れ衣をかぶせていたんです。

だから、僕自身も濡れ衣をかぶされる経験もしたのでしょう。

 

その権威との象徴的な人について徹底的に見直しました。

まず、やったことは、相手の気持ちになること。

こちらが敵意や恐怖を感じているということは、相手も同じように感じているのです。

何を感じているのか?それを書きだしました。

不思議と、権威者の気持ちがよくわかってきます。

権威者も愛を持って行動していることがわかってきます。

でも、許せない(笑)

なので、うちの奥さんにセッションをしてもらったりしました。

で、葛藤そのものは薄くはなってきていました。

でも、なくならない。

なぜなら、セッションはバーチャルだから。

現実に対してアプローチをできない無力な自分を演じていたのです。

 

ところが、チャンスというものは準備をしていればやってくるものです。

当事者と話をする機会がやってきたのです。ほぼ偶然に。

そこで、腹を割って話をしました。

書き出した経験から思考レベルについてはバッチリわかっているし、セッションをしたことで感情についても癒されていたからです。

話してみたわかったことは、「大きな誤解」をしていたとということです。

権威者というイメージを自分の心の中で創り出し、権威者本人をみることなく、相手にかぶせた仮面に対して、敵意を持って攻撃していたということです。

権威者という着ぐるみに対して攻撃していたというかなんというか。。。

これに気づいた時に、「穴が会ったら入りたい」というのはこういうことかという自覚を持ちました。

恥ずかしい。なんて恥ずかしいことをしていたのだと。

 

こちらがオープンになれば、相手もオープンになります。

僕の中で大きく何かが動きました。

 

僕にとって2012年は「葛藤」がテーマの年でした。

12月にめでたく「権威との葛藤」というネガティブな物語を卒業できた年になりました。

葛藤に向き合ったからこそ、手に入れたことも多かったです。

2013年は「創造」がテーマの年になると予想しています。

楽しみです。

このシリーズも4回書いたので、総括を書きますね。

 

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)

権威との葛藤(その3)

父と息子という視点から権威との葛藤について、前回書きました。

娘の場合はどうなのか?

そんな質問をいただきました。

 

もちろん、女性の権威との葛藤もあります。

ただ、これは男性の権威との葛藤よりももっと複雑になっていきます。

母と娘

女性と母親の葛藤もあるんです。

これは権威との葛藤というよりも幸せの葛藤であることが多いです。

男性は社会の象徴とみるのに対して、女性は家庭の象徴とみます。

家庭とは個人的な幸せと豊かさにつながっています。

母娘の関係性を癒すことは、幸せになることにつながっています。

 

女性の権威との葛藤に戻しましょう。

現代は女性も社会進出しています。それが普通のことになってきました。

ここ数十年のことです。

ところが、日本でもちょっと昔を考えると男性は外、女性は内ということが常識でした。

まだ、日本の社会における女性の社会進出は、きびしいと言われています。

社会で活躍するために女性を捨てて男性の役割を演じていることも多いのです。

女性の権威の葛藤は、男女という水平的な葛藤と親子の垂直的な葛藤の2つを抱えることになります。

 

日本語の特質も女性の社会進出を妨げていると言われています。

日本語は上下関係の言葉であり、方向性があります。

しかも何かを指示する言葉で女性から男性に話す言葉がないと言っている方もいます。

なので、対話をするには、難しい言語なのだそうです。

この話は、平田オリザ著「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」の一読をお勧めします。

日本語もさらに進化する必要があるのですね。(言語は正しい言葉があるのではなく、常に変化し続けるものです。)

 

個人のテーマでもあり、社会のテーマでもあるのが女性の権威との葛藤なのです。

ここでも大切になるのは、戦うのではなく、コミュニケーションが鍵となります。

それと自己イメージも大切な要素になってきます。

 

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)