サンタクロースはいるんだ

クリスマスになると思い出す新聞記事です。

Dozens of Santa Claus came to Xmas party at Amo-san's house!

ニューヨーク・サン新聞 1897年9月21日

社説欄 本紙は、以下に掲載される投書に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が読者におられることを、心から嬉しく思います。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。

わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?

ヴァージニア・オハンロン」

 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。

サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。

あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。

サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

※ そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。

Yes, Virginia, There is a Santa Claus
サンタクロースはいるんだ
The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church) 
ニューヨーク・サン紙社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ)
大久保ゆう訳

メリークリスマス!


焼きおにぎり

今日、昨日残ったご飯で焼きおにぎりを作った。

焼き網に冷えたおにぎりを置く。

醤油はハケなど使わずにそのままかけてしまう。

白いご飯と醤油ご飯がまだらになっているのが美味いのだ。

懐かしい味だなぁと食べる。

あぁ、これは母親が作ってくれた焼きおにぎりの味だ、と思い出す。

子どもの頃に食べたものが美味いと感じる。

味付けは母親の味付けにそっくりだ。

特に習ったわけでもないのに、おふくろの味は伝承されている。

母親が亡くなって18年。今日が命日。

偶然なのか必然なのか。

親の影響がありがたいと思える歳になったんだなぁ。


自分の現実を創っているのは自分なのです。

僕はこの言葉に衝撃を受けた。

「自分の現実を創っているのは自分だって?」

世界は生まれる前からあったし、僕がいてもいなくても動いているものだと思っていた。

自分を見つめているうちに「本当に創っているかも」と思ってきた。

だって、その人に感じているストレスを外すと、嫌いな人がどうでもいい人になったりするんです。

どうでもいいとは、ほとんど気にならなくなったりするんです。

ましてや、関係性が良好になっていったりしたんです。

Time Jumper

それでも、自分で現実を創っているとは思えませんでした。

この言葉は実に奥が深くて、時おりパラダイムシフトが起きる。

「あぁ!」という気づきで、言葉に対する洞察が変わっていくのだ。

 

「好きなこと仕事にしたいなぁ」

「この人と結婚したらどうなるんだろう。」

そんなことを思っていたら、現実にそうなってしまった。

 

これも段階があって、このぼんやりとしたイメージからスタートして、自分を見つめたり行動したりしているうちに、イメージがさらに明確化していく。

イメージのはじめはピントがあっていない写真みたいなもの。

それでもエネルギーをかけていくとピントがあってきて、

「あぁ、こういう現実を求めているんだ!それやりたい!」

と見えてくることがあるんですよね。

 

それを次々に実現していっても「自分の現実を創っているのは自分なのです。」という言葉は「そうかもね。そうだよね。」と思っているくらいでした。

 

とある時にメンターと話をしていて「僕はいつでもお金を作れるし、その気になったらすぐになりたいものになれるんです。」と話をされました。

本当に、これをやりたいと思ったらどんな方法を使っても実現する人でした。

その時に頭の中の配線がガガガっと音を立てて変わった気がしたのです。

「自分の現実を創っているのは自分なのです。」

という言葉がわかったんです。

本当にそうだ!その人が現実を創っているんだ!ということがわかったのです。

 

言葉にすると単純で、

「できないと思っている人はできないし、できると思っている人にはできる。」

ということなのです。

 

認知心理学的にいえば、物事を見ているのは人それぞれなんです。

誰もが同じ世界を生きていると思っているだけで、実際には、その人が見たいように世界を見ているだけです。

本当の現実なんていうものはないのです。

みんな自分が見たいように見ているバーチャルな世界なようなものです。

 

だとしたら・・・自分が現実を創っているということを認めたとしたら・・・自分の人生を自由自在に変えることができるのです。

そこにはルールがあって、変えることができることと、変えることができなことがある。

ゲームはルールがなければ成立しないし、面白くないのです。

変えることができないことは受け入れる知性が必要だし、変えることができることは変えたければ変えるようにすればいいのです。

自分の現実を創っているのは自分なのです。

この一文に魅せられて、ずっと人の不思議を探求していくのだろうなと思った朝でした。

今日も良い1日を!


才能心理学

今年、学んだことのひとつに才能心理学があります。

6ヶ月かけて才能とは何かを徹底的に学びました。

そこで得た結論は、

「特別な才能は必要ない。」

ということ。言い方を変えれば、

「誰にでも才能はある。」

ということ。

 

才能はその人の生まれてきた環境、境遇、経験が関係しています。

恵まれていた「ある」こと、恵まれていなかった「ない」ことに注目します。

「ある」人は、その良かったことを広めようとする人、

「ない」人は、なかったことをあることにしようとする人です。

「ない」状態から「ある」状態に変える物語を歩むことになります。

これは英雄物語と同じですね。

 

6ヶ月の講座をまとめた1日集中セミナーのお手伝いをしてきました。

才能心理学1日集中セミナー

講座の裏方をやるのはめったにないので勉強になります。

基本セミナーでは集中するために前に座るし、講師の立ち位置に慣れているのもあります。

後ろから見て、全体に気を配りモードになるとプロデューサー目線になります。

虫の目、人の目、鳥の目といいますが、様々な視点で講座を見ています。

ちなみに虫の目はレンズで拡大して細かい所を見る目線であり、人の目は等身大の目線であり、鳥の目は俯瞰して大局を見る目線です。

セミナー運営、プロモーション・・・様々なことを学びました。

肝心な講座は・・・うん、新しい自分で世の中と関わっていきます。

 

講座で改めて、人の才能を見つける才能あるということを確信しました。

これも言葉を変えると、他人の才能に興味を持っているということです。

人の観察は大好きだし、モノマネも好きだし、人の心理も大好きだし、人の動きだったり、無意識だったり、もう才能は僕の興味の宝庫です。

才能って比較の問題です。自分1人で生きているなら才能があるとかないとかいう話はでてきません。

多くの人の中にいるとその人の特徴が見つかるのです。

全員がロボットみたいに同じではなく、人間というはバラツキがあるんです。

それが特徴。特徴だから、良い面と悪い面はもちろんあります。

良い面は良い面として使い、悪い面を良い面として使うと才能と呼ばれるものになります。

 

来年はさらに、才能を発見して、世の中にデビューするお手伝いをしていきますよ。

半年コースを作りましょう。

才能心理学の北端さんの目線も取り入れつつ、僕の目線を大事にした講座にしていきます。

多くの人から見ている視点が違うと言われるのだけれど、自分ではわからないんですよね。

だって、持って生まれたものだから。

才能を見つけあう講座にしたいですね。

 

才能心理学を知りたい人は、
北端 康良(著) 自分の秘密 才能を自分で見つける方法
を読むことをおススメします。

過去の偉人の文献を調査して、才能心理学目線で語っています。


OTAYORIちきりどん No.8

友人のちきちゃんが発行しているニューズレター「OTAYORIちきりどん」に紹介されました。

OTAYORIちきりどんNo.8

このニューズレターはとっても面白くていつか登場したいと思っていました。

その夢が叶いました!ありがとう!

A4裏表に情報がびっちり書かれていて読み応えがあります。しかも毎月発行しているんですよね。尊敬します。

紹介されているところはこちら・・・

OTAYORIちきりどん拡大図

文字に起こすと・・・

私事ですが、11月はお誕生月でした。30代に突入した頃から憧れていた45歳(デーモン小暮式に言うと32億45才)になりました。何か記念品を贈ろうと思いましたが、品物はあまり欲しいものがなかったので、自分に身につくものは何かな?と思い「サザエさんの街近く」に住む偉大なセラピストまぁちゃんの「ソース」というプログラムを受けることにしました。(ソースについてはソースでHPとか検索して下さい)(又は(www.uedamasatoshi.com)を)その時に、ふと話したことがあります。それは「私は高校生の時に人生の選択をしていた」ということです。本当は、きっとそのずーっと前からなんでしょうね。ティーンエイジャーの私はある日友人と自転車をぶっとばしながら「人生について」話していました。友人は「私は平凡な人生がいい」と言いました。私はこともあろうか・・・「ハランバンジョウな人生がいい〜っ♪」と。今もよく覚えています。あの時のワクワク感。とっても楽しそうに叫んだことも、キャッオーォ♪と。あれから30年弱。平凡を選択した友人は忙しく日々を過ごし(3人の子ども+夫)そしてあの頃と変わらず、ハツラツとキラキラしています。一方のハランバンジョウを選んだ私は、あまり人が体験しないことも体験してみたこれまでの道でしたが、泣いたり怒ったり、悔しかったり・・・いろいろあったことも、ネタにできるくらい楽しくユカイな今を過しています。しあわせって何だろう?マジメに考えとき、それは定義できるものじゃないないなと思いました。そして、自分のしあわせは、自分のものであって、人には当てはめられない。私がずっとうっと探し求めていたしあわせは、自分のものじゃなく、誰かが定義した誰かのものだったなと。「しあわせは いつも自分が決める」有名なフレーズですね。私は私の幸せを大切にして、そして自分以外の人のしあわせも同じように大切にする。これからの人生はそんなことを心に持ちながら過して行きたいなぁと思います。ところで、まぁちゃんの奥様がとってもCUTEな方でして・・・。今月はじめに「おやっ?」と思ったのは、私って友人の中に「ご主人の年の差があって、そかもご主人が年下」というカップルが多いんです。そして皆さん仲良しカップル。45才に憧れたその後は、そういうことを憧れの対象にしちゃおうかなぁ〜。ということも思った11月なのでした。

ソースを受けてくれて、大きな気づきを持って帰ってもらえたことが嬉しいです。

そしてうちの奥様をCUTEとだなんて♪ちなみにうちの奥様がNHKにでた時の写真を紹介。

けいちゃん

ニューズレターからちきちゃんが飛び出て話しかけてくれているかの錯覚を感じました。

ありがとうございます。僕もこのニューズレターにのって全国を駆け巡っているイメージが湧いています。

ワクワクの輪を日本に世界に広げていきたいな。

■ちきちゃんが紹介してくれたソースについてはコチラ
http://www.yoriyoku.com/source/ 

■ちきちゃんのブログはコチラ
http://vegespirit.exblog.jp/(おたよりVEGESPIRIT)
http://ameblo.jp/megumillier/ (うれしいカラダよろこぶココロ)

 


肯定するだけでカウンセリングになるのか?

満員劇場御礼座「まゆつば」を観劇した。

大笑いできる話にキラリと考えさせられる内容がさりげなく盛り込まれていた。

友人が出演したオムニバスに「肯定ペンギン」という話があり、心理セラピストとして大いなる気づきがあった。

皇帝ペンギンではなく、高弟ペンギンでもなく、肯定ペンギンなのです。

具体的には・・・

「私、モテるかな?」

「モテるに決まっているがなぁ。もうどこに行ってもモテモテ・・・」

 

「えぇ、やっぱりモテるわけないよね?」

「モテるわけないやん!鏡見たことあるんか。無理無理。やめておけ。」

 

「で、どうしたらモテるかな?」

「ん?」

というようなやり取りが続く。人間が話をしていて疑問にペンギンという設定。

何を言っても「肯定」するペンギンなのだ。自分を肯定すれば肯定してくれる。自分を否定すれば否定してくれる。意見を求めれば何も答えてくれない。

これを見ていてゾゾゾッと寒気がした。

機能しないカウンセリングを見ているような感覚なのです。

カウンセラーって話を聞き、自分の意見を言わないというのが原理原則です。

でもね、それだけだと人間味がないのです。

ただ肯定するカウンセラーに話をしていると、機械に向かって話をしているような感じがして、虚しさを感じるのです。

なぜそれが起きるのかをずっと考えていました。

人によっては、太鼓持ちのように肯定していればいいのでしょう。

ただ、僕の場合は違うのです。

それがピン!とわかったのです。

感情に共感していないということです。

自分が言っていることを肯定されても、心は動かないのです。

感情を肯定されると、心は動くのです。

ただ肯定されるだけでは、違和感が残るのです。

 

共感というのは、共に本気に真剣に考えているということ。

共感というのは、ちょっと俯瞰した位置で見守ってくれるということ。

共感というのは、共にいるということ。

 

大爆笑をしながらも、ゾクゾクっとしたのです。

ただ肯定するだけではカウンセリングとして機能しないということがわかった瞬間でした。

スキルを身につけただけでは機能しないのです。

心のことはそれくらい繊細なことなんですね。

 

肯定からすべてが始まる。でも、それだけだと何も生まれない。

人と人とが出会うことで、何かが生まれる。

そんな瞬間をセッションの中で作って行こう!

そう強く思った劇場体験でした。

北白川玉子さん、あべの金欠さんと

ゆみたまちゃんご夫妻と。すてきな時間をありがとう!

僕が自分の認識の一歩の世界を見たいと研究実践をしていると昔は哲学者がいたもんだけど、今は芸術家がいるんだよなぁ。


連携する医療WHA

WHAで「医療者向け ホリスティック医療セミナー」をしてきました。

WHA(ワールド・ホリスティック・アソシエーション)は、

西洋医学にも各種代替療法にも、得意分野・不得意分野があります。そこをしっかりと理解した上で、

  • 医療を受ける人には、自分の責任において自分にあった医療を選択して欲しい。
  • 医療を施す人には、「患者さんの治癒力が高まる手助けができるように知識を身につけて欲しい」、そして「患者である私たちと共に、西洋医学のみにとらわれず東洋医学をはじめとする各種療法を含めて、いろいろな可能性を考慮した医療プログラムを構築して欲しい」

と願いました。

そこで私たちは、人を丸ごとみるホリスティックな観点から医療を受ける側の人たちと医療を施す側の方たちが対等の立場で医療を考えるための会を立ち上げました。

という趣旨で立ち上がった組織です。

立ち上げ10周年の記念講演会で、ワークショップ型のセミナーをしました。

ご縁があって10年前に主要メンバーとして関わらせてもらい各地に講演会に行ったり、救急法や最低限しっておきたい医療知識も学んだりしました。

新潟入りしてすぐに核となるメンバーのひとりの治療院に行きました。

ナチュラルメディカル

ナチュラルメディカルです。ここの治療院はとてもユニークです。というよりも代替医療の先端をいったりしています。

ここでは、治療を受けると、食事のことを言われるだけでなく、病院で検査することを薦められたり、歯科に行くことを薦められたり、運動やストレッチ、食べる物への指導もしてくれたりするのです。

元々がそうだったんですが、昨年から治療院なのに、フィットネススタジオも併設されています。

キネシス

僕も毎週フィットネスでやっているキネシスがありました。これは筋肉を鍛えるのとストレッチの両方ができます。それが人間の身体にあった負荷を与えてくれるのです。僕はとても気に入っています。

朝から晩まで予約が埋まっている治療院なので、終わるまでには時間がありました。

「スタジオトレーニングでもしたら」とウェアと靴を渡されてエアロを60分とストレッチポールを15分のコースをやりました。

移動で身体は動かしていないので、動くことは気持ちが良いですね。

僕も身体を鍛えはじめた理由があるのです。

治療を受けているだけでは身体はよくならないのですね。治療だったりマッサージだったり誰かにやってもらうことは、その時だけはいいのだけど、時間が経つと戻ってしまう。

自分の身体は自分でケアするという自分から治すという気持ちがとても大切なんです。

ナチュラルメディカルは僕にとって理想的でな施設です。

フィットネスで身体を鍛えている人が治療を受けてより動く体を手に入れてることができ、また治療を受けに来た人が体を動かすことで自分の身体と付き合うことができるから。

自分で自分の体に気づいて責任を持つということなのです。

体を動かした後に、肩が上がらないのをみてもらいました。

すぐに

「これは、体の筋肉が縮んで動きづらいんじゃないんだよ。肩の筋肉がゆるんでいて、骨が肩にハマっていないから起きているんだ。ストレッチをすればするほどルーズになっていくから逆効果。筋肉を鍛えることで骨を正常な位置にすることが大切。頭が勘違いしているからまずはその認識をするために体に気づいていかないとね。」

というアドバイスを受けました。納得です。この指摘は初めてされたもので、とても納得がいくものでした。

肩甲骨周りの筋肉の感覚を最近つけるための運動をしているんだけど、より体に気づきながらやると効果が高そうです。

自分で自分の体がわかることって大事ですね。誰にもわかる言葉で言ってくれるのがありがたいです。

さて、僕が講演のタイトルは

「健康で生きるために大事なたったひとつのこと」

というもの。

体、精神、やりたいことができる、生きる、めぐる、可もなく不可もなく、タバコ、基本、食べる、平常心、喜びを共有する、心と体、バランス、ベース、ワクワク、体、やりたいことができる、ストレスがない

みなさんに「健康」について考えてもらいました。

ワークショップ型の良い所は、先生も生徒もないということ。

WHAの基本趣旨である「患者主体の医療」にもつながる考え方です。

「我以外皆師」というとカッコいいですね。

誰もが先生であり、誰もが生徒なのです。

正解もなければ、不正解もない。人それぞれが答えを持っているのです。

サラリーマンも、お医者さんも、主婦も、代替医療者も対等に話をする。

誰もが自分の人生のスペシャリストです。それまでも経験は皆違う。その経験を尊重しながら話をしたり聞いたりしていると、また新しい自分が見えて来るのです。

 話をする、触れ合うと緊張がゆるんでみなさん楽しそうに学びを深めています。

受け身ではなく、参加しているという姿勢が大切なのでしょうね。

これは学習を高める方法でもあるのです。

あまり書いてしまうと次の講演のネタバレになってしまいますね。

参加している人によって自在に内容は変わるので大丈夫なんですが(笑)

このセミナーは油断できないのです。何時何の話をふられるかわからないから。

いきなり「これについてどう思う?」「これやって」とふられるのです。

臨機応変にその場にあった内容が展開されるのです。

予定調和ではなく、その瞬間のベストを伝えたいから起きることなんです。

そのためにチームって大事ですね。

個々も自分の持ち場で技術や人間性を磨いていく。その人達がチームを組んで切磋琢磨していく。

ありがたい仲間です。

ワールドホリスティックアソシエーションの仲間達

10年前に発足し、様々な活動を通じてお互いをぶつけあう。

またそれぞれの道を歩んで、再会をする。

お互いの成長を感じあい、学びあいの場でした。

ほぼ同じ内容の東京でも講演会をします。

●「医療者向け ホリスティック医療セミナー」のご案内

患者主体の医療を考える会 WHA「ワールド ホリスティック アソシエーション」は、発足10年を記念して「ホリスティック医療セミナー」を企画いたしました。医療者向けの内容ですが、一般の方もご参加いただけます。

●日時
平成24年12月15日(土) 13:00~16:30

●内容
◆下條茂(ナチュラルメディカル株式会社代表取締役社長、WHA理事長)
「次世代医療」
◆染谷光亨(染谷抗加齢研究所所長)
「生活の質を高めて健康寿命を延ばす秘訣」
◆上田正敏(フリースタイル代表)
「健康で生きるために大事なたったひとつのこと」
◆成瀬大介(ナチュラル整骨院院長)
「簡単にもほどがある!ホリスティックに人を診るコツ」

●場所
新橋駅近郊(参加者の方にお伝えします)

●参加費
7000円

●申し込み
ナチュラルメディカル株式会社 新潟県柏崎市長浜町1‐39
TEL:0257-21-1625
FAX:0257-47-7211
E-mail info@natural-mj.com


やりたかったけれど、できなかったこと(その1)

今までの人生で「やりたい!」と思っていたのに、様々な理由でできなかったことはあるだろうか?

そして「できなかった」ことを忘れることはできただろうか?

 

なぜ、「やりたい!」と人は思うのでしょうね。不思議です。

しかも、この「やりたい!」という気持ちは、人によって何をしたいのかが違うのです。

これを個性と呼ぶのでしょう。

 

本当にやりたいと思っていたことは、本人がやる必要があることだからやりたいと思うのでしょう。

 

時にはそれができないこともあります。

あきらめる事情があったり、誰か他の人の助言に従ったり・・・

それは、自分に準備ができていない時だったということです。

脳神経学にいうと人は選択するのに1秒もあれば十分だと言われています。

この選択は、意識的に選ぶというよりも、直感的に選んでしまうに感覚。

選べない時は準備ができていないこともあるのです。

 

あぁ、できなかった・・・

 

そんな想いで人生が終わるのでしょうか?

いいえ。いつでも選びなおすことができます。

 

形は変わるかもしれないけれど、選ぶチャンスは必ずやってきます。

「それは何時か?」と聞かれたら、「何時でも」と答えます。

その考えが頭に浮かんだ時にはそう思うのです。

 

僕にもやりたかったけれど、できなかったことがはあります。

ずっと子供の頃から昆虫や動物が好きでした。

なぜか興味を持っていたのです。

高校1年生の時に進路の適性検査を受けました。その時の判定で「医師・薬剤師」という判定がでました。

「うわぁ・・・そんなにお金がかかるコースは無理だわ。」

と思ったのです。そして1年後に同じようなテストを受けた時の判定は「理学・工学系」の判定がでていました。

「生き物」から「人が作ったもの」に興味を変えたのです。

 

そして、大学は理工学部電子工学科に入ったのです。

これが面白いもので大学4年生で選択した研究室が「生き物の特徴を工学的に応用する」研究をしていたのでした。

脳神経学の工学的応用の研究をそれから3年ほどしたのです。

人間の神経も電気信号だし、電子の情報伝達もコンピューターも電気信号で動いているし、インターネットも電気信号で動いています。

まぁ似たようなものなので。

 

就職はまた電気関係の会社の研究開発部門に就職したのだけれど、営業と開発が手を組んだプロジェクトに入ったり、組合の仕事をさせられたりもして、人間に関わる方向に勝手に進んでいました。

でも、それもなんか嫌だったと思っていたのです。

今だからわかるんだけど、高校生の時に否定したからね。

嫌いなものは嫌いと決めたら、それを意地でも守っている自分がいるんです。

だって好きなものを嫌いと決めて、それを守り続けないと自分が自分でいられなくなると思っていたから。

 

さらに、友人から紹介で心理セラピーの道を知り、それで独立起業までしたのです。

それから12年経った今気づいたのです。

「あぁ、やっぱり高校生の時に思っちゃったことを形を変えて実現してるんだわ。」

それに気づきました。

このルーツに気づいた時にびっくりしたんです。

ずっとそんなことを望んでいたのに、それをあきらめていたのだとね。

今できなかったとしても、いつかはやることができるようになるのです。それを選べばね。

 

自分が何が好きだったのかを棚卸しするのにオススメなワークショップを開催しています。

■ソース・ワークショップ→http://www.yoriyoku.com/source/


生かされているという感覚

けいちゃんとはぎちゃんとゆうかさんとはぎちゃんこと萩原先生と優香さんこと長田先生とご一緒にたまプラーザの子ぐまでお好み焼きを食べながら話題がいろいろと飛びながら人間という存在に対しての深い話を堪能しました。

お医者さんと心理セラピストという関係性なのです。はぎちゃんは、スリーインワンを習いに来ていただいた関係であり、優香さんはブログセミナーを受講してくれた関係性です。

「師弟関係なんですね。」と言われて「はっ」としました。

師弟とは、どちらも師であり、どちらも弟子なんですね。学び学ばれあう関係性なんだな。お互いが成長しあうためにいてくれる存在なんだなと感動したりしました。

不思議とネットを通じてゆるくつながっているのです。

いつも新しいことを学んだり、現場での体験から学んだりしている姿に共感を覚えます。

お二人とも、自分の好きなことを追求し、それを仕事として周りの人たちに分かち合っています。

お互いがお互いの役割がある。

そんな感じがしてならないのです。

この役割は人に押し付けられたりしたものではありません。

自分で役割を選んで演じているのです。

 

でもね、自分で選んでいるという感覚さえ超えているのではないか。

何か大いなる存在がいて、生かされている、演じさせてくれている舞台を用意されているんじゃないかという感覚がどうもあるようなのです。

 

なので、とても謙虚なのですよ。

「俺が俺が・・・」みたいな押しがないのです。

ただそこにふわっといるみたいな自然体なのです。

前日にスターウォーズのエピソード4をみたせいか、オビ=ワン・ケノービというメンターにしか見せません(笑)

ビジョンや使命は持っている。それが自然の法則かのように当たり前なんだと。

その在り方を見ているだけで勇気をもらえたりするのです。

 

生かされている。

 

そんな感覚を持てた時。人は力を発揮できるのではないか。

そんなことを思った夜でした。


平凡な人生と波瀾万丈な人生

OTAYORIちきりどん

ソース・ワークショップ活用編に参加してくれたちきちゃんがブログで感想を書いてくれました。

苦楽園でhealing salon vegespiritをやっています。そう、関西から来てくれたのです。ありがとう!

彼女がワークショップ中に話をしてくれたエピードが印象的でした。

「あれは、高校生の時だった。

 学校からの帰り道、親友と2人で自転車で走っていた時に、友達が

 『私は平凡な人生がいいな。』とつぶやく。

 それを聞いた私は

 『私は波瀾万丈な人生がいい〜っ!』

 と叫びながら全速力で自転車を漕いだということがあったんですよ。」

というような話をしてくれました。

僕はこの話を聞いた瞬間にその場にいるかのような錯覚を覚えました。

自転車の風を感じ、高校生のなんともいえない感覚を感じたのです。

平凡な人生がいいと言った彼女はその後いろいろとあったんだけど幸せに暮らしていて、波瀾万丈な人生がいいと言ったちきちゃんも幸せに暮らしています。もちろんワクワクする様々な魅力的な経験を積まれています。

平凡な人生を選んでも、波瀾万丈な人生を選んでも、変化と安定は同じように経験をし、結局は幸せはどちらも道にあるんだなぁとしみじみ思いました。

自分がワクワクするほうを選べばいいのです。

何を選んだにせよ、自分の人生に必要な経験はしていくのですから。

だったら、僕はワクワクするほうを選ぼうと思った約12年前の会社を辞めて好きなことを仕事にすると決めた日のことを思い出しました。

参加者のワクワクに刺激を受けると僕も初心を取り戻します。「そういえば!」と昔に決めたことも思い出したりして。

ちきちゃんの感想を書いてくれたブログを見ると・・・
『プレゼントはワクワクの源泉』

「いじわるばあさんになりたい」と思ってしまったことを思い出してしまったようです。

そして、その思いは今でも脈々と根底に流れていたんですね。

うちの近所はいじわるばあさんの作者である長谷川町子さんゆかりの土地だったんですよね。シンクロですね。

ソースワークショップ活用編のメインテーマのひとつが「ワクワクすることを仕事にする」という方法を学びます。

彼女の発行しているニューズレターが秀逸なんです。らしさがつまっているんです。

OTAYORIちきりどん

もういつもぎっしりしたお弁当みたいな役立つ情報がいっぱいなんです。

コレ全部仕事にすることができるレベルです。(というよりもしていた人だから。器用な人で、なんでも仕事にしてきちゃった人なんです!)

ちきちゃんも引き出しが多いのは、波瀾万丈の人生でいろいろなことを体験してきたからこそのものですね。

たくさんの可能性を見せてもらいました。

ありがとうございます。

誕生日プレゼントで自分自身に経験をプレゼントするなんて粋ですよね!

■ちきちゃんのブログ→プレゼントはワクワクの源泉
■ソース・ワークショップ→上田正敏が贈るソースワークショップ