自分らしさって何だ?

僕の目指していることは「誰もが自分らしくいる」ということです。

この「自分らしさ」が案外、難しいのです。

自分自身っていったいなんなんでしょう。

 

これには理由があります。

「本当の自分」があると仮定すると・・・

本当の自分と自分がイメージしている自分の2人がいます。

自分がイメージしている自分のことを「自己イメージ」と呼びます。

「本当の自分」と「自己イメージ」が一致しているとストレスはありません。

これがズレている時に違和感を感じたり、悩んだりすることがあるのです。

 

自分自身を自分が認識することはとても難しいのです。

なぜなら、期待が入るから。

「こんな自分であるはずだ」「こんな自分であって欲しい」という期待。

頭の中で考えていることと実際が違うことがほとんどです。

実際の体と頭は違ったりしますからね。

 

自分を客観視できるということは、それだけですごい才能です。

自分を他人としてみる能力です。

世阿弥は「離見の見」という言葉を使っています。

自分が離れて自分を見るという意味です。

基本的に自分が好きだったり、嫌いだったり感情が入るので主観的になっちゃいます。

冷静に自分を客観ていに見れる人は本当に少ないんです。

 

その人自身が一番力を発揮するのは、頭と体がつながった状態です。

もっといえば、頭とハートと体がつながった状態です。

どうすればいいのでしょうか。

 

言葉で語るのはとっても難しいんです。

それは答えは自分の中にあるから。

そして、頭でいくら考えても出てこないのです。

 

だからこそ、僕は「体に聴く」という方法を使い個人セッションをしています。

頭で考えるだけでなく、自分自身のハートにつながる方法です。

自分自身につながると人は顔がスッキリして目が輝いていきます。

本当の自分に会えるかもしれません。

■個人セッション

http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm

 

 


好きなことをするためには・・・

現代人は忙しい。

手帳術なんかもあるようにスケジュール管理をしなければならいほど忙しいんです。

小学生もいっぱいやることが決まっている。

 

「忙」しいという漢字は、「心」を「亡」と書きます。

 

なんで心を亡くすのでしょうか?

 

やることが決まっていると、それをただやっていればいいからです。

 

それって何かに似ていると思いませんか?

 

そう、ロボットです。機械は同じことを繰り返すのが得意。

コンピューターもそうですね。

 

ロボットと人間の違いは「心」と言われてますが、具体的には何を亡くすのでしょうか?

 

大きくは2つあります。

感じることと考えることです。

ロボットは感じないし考えません。規則正しく行動します。

動物は感じて行動します。

人間は感じて考えて行動します。

 

感じることは自分自身と向き合うことにつながります。

考えることは自分自身を知ることにつながります。

 

自分は何を感じているのか。

快なのか不快なのか、幸せなのか不幸なのか、良いのか悪いなのか・・・

自分は何を考えているのか。

この考え方は本当に自分の考えなのか、他人の考えなのか、それは自分自身なのか・・・

 

好きなことをするためには、時間が必要です。

それは、たった1分なのかもしれません。

好きなことをするためには、嫌いなことを止めることが大切になります。

時間を作るためには何かを手放さなければならない。

その時にやりがちなのか、好きなことを手放してして、やらなければならいことを選択してしまう場合があるんです。

嫌なことを手放すのです。

さらに、好きなことをするためには、どうでもいいことも手放すのです。

自分にとって毒にも薬にもならないことを手放すのです。

これが生活のほとんどを占めている場合もあります。

かなり意識しないとわからない大きな障害です。

 

好きなことをするためには、嫌いなこと、どうでもいいことを手放しましょう。

感情、思考、行動をチェックすると見えてきます。

 

■自分のプラスを知るためのワークショップ
http://www.yoriyoku.com/source/

■自分のマイナスを手放す個人セッション
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm


受けとることと与えること

「自分を磨き成長するためにはどうしたらいいのか?」

これは僕のライフワークのひとつです。

最近、ホームパーティーに招かれていいなぁと感じ、僕も今年はホームパーティーで場作りをしていこうと思っています。

なのでいろいろと観察をしていてわかったことがありました。

 

主催をしている人は余裕がある(笑)

豊かさがあるから分かち合っているのです。

分かち合っているから豊かなのかもしれませんが(笑)

 

そこで、ふと思ったのです。

 

与えてもらったら、与える必要があるのかなと。

誰から何かをしてもらい嬉しかったら、自分もまた誰かに何かをしてあげる。

受け取ったら与えるという循環が大切なのではないかと。

 

受け取ってばかりの人もいて、不思議と不幸そうにみえる人も多いのです。

受け取って受け取って受け取って・・・インプットだけだと淀んできます。

アウトプットする必要があるのです。それは与えることかもしれないし、捨てることかもしれません。

 

受け取り上手な人もいます。こちらも与えているだけで嬉しくなる人。

ここで関係性が完結しているようです。

どんどん与えたくなっていきます。

素直であり謙虚な人であることが多いような気がしています。

 

与えることが前提で受け取る人もいます。

スポンジのように吸収していくし、わからないことがあれば質問もする。

積極的で清々しい人が多いような気がします。

 

受け取ったら与える必要がある。これは人間が社会を作るために必要だし、これがあるから文化が育つのだなと思いました。

自分が学んだことや経験してきたことは教えていく必要があるんだなと実感しています。

40代からは人に与える割合が増えていくようにするのが精神を健全に保つ秘訣ですね。


教育とは興味を持たせること

世の中の教育事情も混沌としています。

先日、テレビを見ていたら様々な教え方があるんだなと思った。

理解していない人に合わせる教育。理解している人に合わせる教育。

親切丁寧に教える教育。教えない教育。

授業型の教育。ワークショップ型の教育。

詰め込み型の教育。ゆとり教育。

 

古今東西ベストな教育は人それぞれなのかもしれません。

個人的な適正の問題だけでなく社会的な要因もあるのでしょう。

教育って、どんな大人を育てたいのか、どんな社会にしていきたいのか、どんな未来を創っていきたいのか、そんな要因に左右されてきます。

 

いろんな教育方法がありますが、僕は教育も一番の目的な「興味を持つこと」という目的以外にはないと思っています。

教育とは外的な要因。

教えてもらう側からみると、求めて教えを請うか無理矢理教えられるか(笑)

教える側からみると・・・う〜ん。。。なんでしょ。人それぞれ目的や意図がありそうです。

 

僕はなぜか、子どもの頃から「先生にはならない。」と心に固く誓っていました。

どうしてそう思ったのかは謎なんです。

母方の親戚には先生が多かったりするんですが、特に嫌な想いをしたことはないし、学校の先生方には恵まれていました。

 

先生にはならなかったのですが、教育法にはとても興味があるのです。

「教育とは、何だ?」という問いが先生でもないのにいつもあるのです。

人が人に影響を与えることはすべて教育だと思っているのかもしれません。

 

僕がいきついた答えは「興味を持たせること」ということ。

興味を持てば、自発的に学ぶようになるのです。

「知りたい!」という人間なら誰もが持つ好奇心に火をつけられるか。

それが鍵になると思っています。

究極的には、学びたいと思わなければ学ぶことはできないと。

知りたいと思わなければ、知ることはできない。

始まりはいつも自分から。そして他者との交流により学びが深まっていく。

さらに人に教えることで学びが最高点に達します。

そして、また次の学びのステージに上がっていく。

 

先日開催した、ボディ・トーク・ワークショップは、キネシオロジーの基本と僕が今到達している最高点を伝えました。

決まったカリキュラムも作らずに、だいたいの方向性を決めて、その場の空気を読んで進みました。

僕個人の経験だけでなく、参加者の経験も学びの場にでてくると何かがそこで起きるのです。

人生丸ごとをかけた学びの方法論を作っています。

例えるなら小学校の授業と大学院の授業の混合です。

結果、とても満足していただいたようで僕も一安心。

次回は1月31日(木)です。これ定期開催してみようかな。

 

人それぞれの人生経験を尊重しながら、人それぞれの興味に火をつけながら、僕の知的好奇心と仮説検証も含めながら「学び」を極めて行く1年にしていきます。


2013年1月スケジュール

2013年1月のスケジュールです。

Happy New Year ! 2013

●1月5日(土)、6日(日)ソース・ワークショップ発見編

新年の幕開けは「ワクワク」から。(詳細はこちらをクリック

●1月10日(木)リッスン・ボディ(1)体の声を聞く

●1月31日(木)リッスン・ボディ(2)メタファーを読み解く

時間:各10時〜17時 参加費:各10,000円

(1)では、キネシオロジーの基本を学び、その応用方法を学びます。頭で考えていることと体が知っていることの差はあるのでしょうか。体の声を聞く方法を学びます。体と心のつながりに興味がある方ならどなたでも参加できます。

(2)では、メタファーとは何かについて学びます。ユーミンが「目に映るすべてのものはメッセージ」と歌っていますが、自分が見ているもの、聞いているもの、感じていることにどんな意味があるのかを探っていきます。(2)は(1)を参加した方、もしくはタッチフォーヘルスなどのキネシオロジーを学んだ方のみ参加できます。初めての試みなのでお試し価格となっております。

参加したい方はinfo☆yoriyoku.com(☆を@に変えて)まで

●1月20日(日)パートナーシップゼミ

ブライト・コミュニケーション研究所の高橋ライチさんとのコラボセミナーです。午前の部は「困った時に逃げ込む『仮面』の攻略法」、午後の部は「パートナーと『もっと』仲良くなる50の方法」をやります。講義スタイルとはちょっと違うワークショップで、みなさんで考えながら答えを見つけていきます。(詳細はこちらをクリック

●1月26日(土)ソース交流会

フリースタイルでソースワークショップを受講してくれた方を対象に午前中に勉強会と午後に交流会を企画しています。(シークレットなんだけど書いちゃった。)

●1月27日(日)最高の未来の創り方<2013年バージョン>

2013年をどのように創るのか?未来を創るために必要な事はイメージ力と物語力です。頭で未来を考えたり、身体感覚を使って未来を創造していきます。明確に意図を放つ事で、気づいたら夢が叶っている。そんなワークショップです。
時間:10時〜18時 参加費:21,000円
参加したい方はinfo☆yoriyoku.com(☆を@に変えて)まで


権威との葛藤(その5)

権威との葛藤のまとめです。

権威との葛藤とは・・・

権威に対して敵意を持つ事である。

 

そのことにより

自分が権威を持つ事を恐れる事である。

 

すると

周りの人たちに自分を与えることをしなくなる。

つまり

社会性の欠如が起きる。

ということである。

 

権威との葛藤の態度としては2種類ある。

従順に従う良い子になるか、何にでも反抗する悪い子になるか。

 

権威との葛藤を解消する鍵は、

権威者の立場を理解する事。

権威者とコミュニケーションをとる事。

自分の影響力を自覚する事。

である。

とまとめてみました。

サポート

言葉でいうのは簡単です。

実際に権威との葛藤を抜けるためには、誰かの助けが必要かもしれません。

思考レベルだけでなく、感情レベルのことが関係しているからです。

僕にできることは、個人セッションなどでサポートすることですね。

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)

権威との葛藤(その4)

権威を自分自身に取り戻す。

これは僕が心理セラピーを通じて一貫して伝えていることです。

権威を誰かに何かに明け渡していると自分自身はどこにもない状態になります。

子どもは誰だに育ててもらわないと一人では生きていけないので依存しています。

それが第一次反抗期、第二次反抗期を経て、自立をしていきます。

それが大人になっていくということです。

第一次反抗期にあたる幼年期、第二次反抗期にあたる青年期の体験が権威との付き合い方に大きく影響をしています。

権威に従順に従う人もいれば、権威に徹底的に反抗する人まで様々です。

もし、大人になって生きづらさを感じている人は、健全な自立ができていないのかもしれません。

社会

今日は社会との葛藤の話をします。

権威との葛藤をしている人で、社会的に幸せに成功している人には皆無です。

なぜなら、成功するというのは、お金を稼いだり、地位をえたりしていきます。

これは何を意味しているかといえば、他人に影響を与えていくということなのです。

社会的な活動というのは、誰かの何かの役に立つことです。

簡単に言えば、誰かを笑顔にすることです。

多くの人を喜ばせたり、一人の人をむちゃくちゃ喜ばせたりすることの結果として、お金が入って来たり、地位が上がったり、名誉が手に入るのです。

権威的な部分をゴールにしていくと何がなんだかわからない状態になることも多いです。

 

権威との葛藤がある人は、自分自身が権威を手に入れることを恐れています。

お金持ちになったり、社会的な地位をえたり、名誉をえることを極端に嫌います。

なぜなら、権威との葛藤がある人は、お金持ちが嫌いだし、権力を持っている人が嫌いだし、名誉がある人が嫌いです。

嫌いな理由は多々あるでしょう。

この嫌っているというのも、意識的にわかっている場合もあれば、無意識で気付いていないこともあります。

 

権威は影響力です。どれだけ多くの人に深く影響を与えるのか。

極端に走れば、権威との葛藤がある人は隠遁者になります。誰にも会わずに影響を与えようとしない。

人と接することを極端に減らしていることさえあります。

 

僕も権威は嫌いでした。

お金持ちは悪い人だと思っていたし、社長や上司は悪い人だと思っていたし、政治家や力を持っている人は悪い人だと思っていました。

水戸黄門などの時代劇で「越後屋、お主も悪よのう。」と殿様や家老という権力者と儲かっている商人が手を組んで庶民に悪いことをするという物語を当たり前のように見ていたからかもしれません。

徹底的に反抗をするという方法をとりました。

これって何も考えないでとても楽な方法です。

権威者が言うことに「No」といえばいいだけだから。

あれもNo! これもNo! みんなNo!

子どものイヤイヤ期かっ!(笑)というくらいに反対していればいいのです。

この反抗は、権威者がいなければ成り立ちません。

権威者がいることで、はじめてNoが言えるのです。

あたかも自立をしているようで、権威者に依存をしている状態なのです。

「だったら、自分でやってみろ!」っていいたくもなるんです。

 

でもね、自分ではできないんです。

なぜなら、自分から事を起こして何かをしたら権威者になる。

権威者になってしまったら、自分が権威者にやっていたように、誰かに攻撃されると思っているからです。

それは恐ろしいことです。

 

他人の権威者を否定すればするほ、自分に権威がなくなっていきます。

えっ?そうなの?と思う人もいるでしょう。

そういう人は、他人の権威を失墜させれば、相対的に自分の権威が上がると信じています。

ここ、ポイントです。違うのです。

他人の権威を奪えば、自分の権威も奪われるのです。

そのことによって、自尊心の欠如が起こります。

自己イメージも低くなれば、元気でさえもなくなります。

案外、社会問題を扱っている良い人に見える人たちに多いのです。

反対したり怒っている時だけ、元気なのです。だから反抗しているのでしょう。

 

で、僕もご多分に漏れず反抗をしていました。

権威にたいして反抗をしていたのです。

今よりももっと多くの人に、社会に役立つ人になろうと決めた2012年でした。

そう決めたけれど、なかなか、動けない自分ににモヤモヤしていたりもしていました。

リーダーシップを発揮して、よりよい社会にしていこうと思っているのにです。

そこでテーマとして「権威との葛藤だな」と直感的に思いました。

自分が権威を持つ事に恐れを感じているのです。

その前に、権威に対して敵意を持っていないか考えてみました。

あったんです。大物が。

いろいろな経緯はあるんだけれど、あきらかに濡れ衣をかぶせていたんです。

だから、僕自身も濡れ衣をかぶされる経験もしたのでしょう。

 

その権威との象徴的な人について徹底的に見直しました。

まず、やったことは、相手の気持ちになること。

こちらが敵意や恐怖を感じているということは、相手も同じように感じているのです。

何を感じているのか?それを書きだしました。

不思議と、権威者の気持ちがよくわかってきます。

権威者も愛を持って行動していることがわかってきます。

でも、許せない(笑)

なので、うちの奥さんにセッションをしてもらったりしました。

で、葛藤そのものは薄くはなってきていました。

でも、なくならない。

なぜなら、セッションはバーチャルだから。

現実に対してアプローチをできない無力な自分を演じていたのです。

 

ところが、チャンスというものは準備をしていればやってくるものです。

当事者と話をする機会がやってきたのです。ほぼ偶然に。

そこで、腹を割って話をしました。

書き出した経験から思考レベルについてはバッチリわかっているし、セッションをしたことで感情についても癒されていたからです。

話してみたわかったことは、「大きな誤解」をしていたとということです。

権威者というイメージを自分の心の中で創り出し、権威者本人をみることなく、相手にかぶせた仮面に対して、敵意を持って攻撃していたということです。

権威者という着ぐるみに対して攻撃していたというかなんというか。。。

これに気づいた時に、「穴が会ったら入りたい」というのはこういうことかという自覚を持ちました。

恥ずかしい。なんて恥ずかしいことをしていたのだと。

 

こちらがオープンになれば、相手もオープンになります。

僕の中で大きく何かが動きました。

 

僕にとって2012年は「葛藤」がテーマの年でした。

12月にめでたく「権威との葛藤」というネガティブな物語を卒業できた年になりました。

葛藤に向き合ったからこそ、手に入れたことも多かったです。

2013年は「創造」がテーマの年になると予想しています。

楽しみです。

このシリーズも4回書いたので、総括を書きますね。

 

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)

権威との葛藤(その3)

父と息子という視点から権威との葛藤について、前回書きました。

娘の場合はどうなのか?

そんな質問をいただきました。

 

もちろん、女性の権威との葛藤もあります。

ただ、これは男性の権威との葛藤よりももっと複雑になっていきます。

母と娘

女性と母親の葛藤もあるんです。

これは権威との葛藤というよりも幸せの葛藤であることが多いです。

男性は社会の象徴とみるのに対して、女性は家庭の象徴とみます。

家庭とは個人的な幸せと豊かさにつながっています。

母娘の関係性を癒すことは、幸せになることにつながっています。

 

女性の権威との葛藤に戻しましょう。

現代は女性も社会進出しています。それが普通のことになってきました。

ここ数十年のことです。

ところが、日本でもちょっと昔を考えると男性は外、女性は内ということが常識でした。

まだ、日本の社会における女性の社会進出は、きびしいと言われています。

社会で活躍するために女性を捨てて男性の役割を演じていることも多いのです。

女性の権威の葛藤は、男女という水平的な葛藤と親子の垂直的な葛藤の2つを抱えることになります。

 

日本語の特質も女性の社会進出を妨げていると言われています。

日本語は上下関係の言葉であり、方向性があります。

しかも何かを指示する言葉で女性から男性に話す言葉がないと言っている方もいます。

なので、対話をするには、難しい言語なのだそうです。

この話は、平田オリザ著「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」の一読をお勧めします。

日本語もさらに進化する必要があるのですね。(言語は正しい言葉があるのではなく、常に変化し続けるものです。)

 

個人のテーマでもあり、社会のテーマでもあるのが女性の権威との葛藤なのです。

ここでも大切になるのは、戦うのではなく、コミュニケーションが鍵となります。

それと自己イメージも大切な要素になってきます。

 

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)

権威との葛藤(その2)

権威との葛藤とは、権威を持つ人に敵意を持つことです。

そのことで良い子をやったり悪い子をやったりするという話を前回しました。

権威に対して最初に敵意を持つ人は、父親という人が多いです。

父親とは権威や社会の象徴であるからです。

父と子

古今東西でよく聴く話は、息子が父親に反感を持つというものです。

 

これを感じたことがある人は多いのではないでしょうか。

もちろん、父親に反抗して、「絶対に、あぁはならない!」と思っていたこともあります。

すると不思議になもので父親に似て来るんですね。

父親に似て来るのです。同族嫌悪が生まれてさらに嫌いになったりします。

これをさらに深くみていくと、父親も祖父に対して反抗していたことがあることが多いです。

男性の親子関係で受け継がれている習慣とでもいうのでしょうか。

感情も深い所では、好きも嫌いも同じなのです。

好きという感情のポジティブなエネルギーを相手に送るか、嫌いというネガティブなエネルギーを送るかの差で、エネルギーの質は同じなのです。

ここでいうエネルギーというものは感情のエネルギーで、ニュートラルで、ポジティブでもネガティブでもありません。

その人の解釈でポジにもネガにもなるのです。

権威との葛藤あれば、それはもちろんネガティブに働きます。

権威に媚びを売るか反逆するか。

 

父親との葛藤を癒すには、父親という役割を理解したり、父親の前に一人の男性として受け入れることが大切になってきます。

そのためにもコミュニケーションが大切になってきます。

イラッと来ても話をしてみることが大切です(笑)

そうやって少しずつ葛藤を癒していく必要があります。

僕もたくさんのセラピーを受けたりして自分を癒しながら少しずつ距離を近づけていきました。

 

父親との葛藤は癒したのだけれど、次に待っていたテーマがあったのです。

父親の先にある存在。社会です。

 

権威との葛藤の連載はコチラ

  1. 権威との葛藤(その1)
  2. 権威との葛藤(その2)
  3. 権威との葛藤(その3)
  4. 権威との葛藤(その4)
  5. 権威との葛藤(その5)