あなたにとって、家族とは?@世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアターでおこなわれた台本をめぐるワークショップ。

うちの奥様が台本を読むワークショップに参加したので、発表+トーク会を観てきました。

とっても良かったのです。

 

生と性をめぐるささやかな冒険と題して行われた舞台の印象が悪かった。

ワークショップで共有するというのはいいのかもしれないが、それを観客に見せるのはどうかというものと僕は感じました。

癒されるわけでもなく、ただの欲求不満のガス抜きにしかみえなかった。

被害者意識から抜けられていない魑魅魍魎がうずまく後味の悪さがあり、演劇というものの限界を感じていました。

 

今回は、なんの期待も持たずに観にいったら、演劇として面白い作品がしあがっていたのです。

そしてアフタートークも建設的な意見しかなく、なるほどなぁと感心することばかりでした。

ゲストに世田谷区議の上川あやさんも参加して深い話が聞けました。

オフレコ話もたくさんでしたので詳細は割愛。

 

なぜ、良かったのだろう?

 

うちの奥さんの役がマダム・ボンジュール・ジャンジというドラッククイーンだったからではない。

今回の進行役である劇団フライングステージの関根信一さんの戯曲の良さだったのではなかろうか。

もちろん演出も。

 

台本の力ってすごいな。

 

関根さんも上川さんもカミングアウトをしている人である。

自分自身の生きづらさを世の中に問い、それを改善しようとしている人たち。

自分の中で葛藤し、それを勇気を持って世の中に開いている。

そのプロセスは壮絶なもだったのかもしれない。

でも、自分と向き合い、それを社会に表現しているからではなかろうか。

 

それを参加者が読んで演技をする。

悩んだままではなく、そこから一線を超えた世界に触れる。

それを演じることで何かが起きたのではないかと思っています。

 

お経って唱えてはいけないもの、読むものだと聞いています。

覚えていたとしても読むのが大事なのだそうだ。

 

この台本のリーディングも、覚えて演じるのが良いのではなく、読むことが大切なのだそうだ。

ちなみに読まずに演技するためには1ヶ月の稽古が必要らしいです。

言葉をそのまんま読むということ。

言葉の力を改めて感じました。

きっと、自分なりにアレンジしては意味が変わってしまうのではないかと予想しています。

 

誰もが世の中に生きづらく感じている部分はあるのだと思っています。

今回の戯曲はLGBTが主題。

関係性の視点からみれば、LGBTであろうが、それ以外の人であろうが、関係性の問題は同じだ。

出会って、関係を築き、別れるところにドラマが生まれる。

男であろうが女であろうがそれ以外であろうが全く同じ。

 

LGBT問題は僕が解決するメインテーマではないということがわかりました。

だから無視をするというわけではありません。

聞く耳は持っている必要があります。

人は誰もが生まれてきた意味があると僕は思っています。

それぞれ人には課題があると考えているのです。

 

僕には僕にとっても世の中の生きづらさがある。

「自分らしく生きる」というのが僕のテーマ。

その中でも「好きなことを仕事にする」「好きな人と共に暮らす」がライフワーク。

 

誰もが生きづらいと感じている人がいて、それを改善しようとしている人の邪魔をしないことが大切。

よくあるのは、わからないことを攻撃してしまうこと。

そうではなく、わからないことに、耳を傾けること。

何事も理解はできなくても受容はできます。

暖かく見守ることが健全な態度ではないかと思っています。

きっとできることがあれば手伝うこともあるでしょう。

ちょっとだけ応援はできます。

当事者が立ち上がること以上に力を持つことはありません。

問題があるということは解決策も持っているということです。

 

うちの奥様とこのテーマについて対話がつきません。

家族の定義が根本的に変わる時代が来るだろうな。

新しい集団の定義が生まれるかもしれません。

 

作品とトークが本当に良かった。

ありがとうございました。

 

気になったのは、スタッフや取材の人たちが撮影しているのは良かったのですが、一般観客がビデオ撮影をしていたのが気になりました。

◆WS・レクチャー中の写真・動画の撮影および録音はご遠慮ください。

ということじゃなかったのかなぁ・・・誤解だったらいいんだけどな。


生と性をめぐるささやかな冒険<男性編>発表会

4月11日(月)15:30から世田谷パブリックシアターで地域の物語ワークショップの発表会がありました。

気づきが多い時間でした。

3つほど大いなる気づきをえました。

 

プロセラピストの上田正敏です。

自分を見つめる時間を作るのも大事なことです。

そして演劇ワークショップという手法を学ぶためも参加しました。

3つの大きな気づきとは

  1. 世の中に訴えたいほど困っていることはない。
  2. 僕は社会派ではない。
  3. セックスとは行為ではない。

ということです。

 

1)世の中に訴えたいほど困っていることはない。

僕は今とても幸せだということ。

自分らしく好きなことをして生きると決めた28歳。

そこから自分を見つめて、思い込みを外し、実際に行動し、今の現実を作り上げてきました。

新しいことをに挑戦し、失敗をし、また挑戦しということを繰り返して今がある。

実際にはいろいろあるけれど基本的には幸せであることを選んでいる自分がいるのです。

この経験は伝えたいと思っているけれど、不平不満を世の中に言いたいということはないんだなと実感しました。

有難いことです。

 

2)社会派ではない。

僕は世の中には二通りの人がいると思っています。

それは個人派と社会派の人たち。

人が幸せになるには個人の努力が大切という人と、人が幸せになるためには社会を変える必要があるという人。

ずっと自分を探求していたいので、社会派に憧れているだけだったんだと気づきました。

社会起業とかデモとか流行っていたでしょ。

流行に乗りたいと思っている自分がいたのです。

僕は個人の意識が大切という軸を持っていることがハッキリしました。

もちろん社会構造が変わることは必要なこともあるでしょう。

それは、そこに問題意識を持っている人がやることです。

社会的に恩恵がある人は、問題に気づきづらいし変えたいとも思いません。

下手をしたら恩恵をもらえなくなっちゃうかもしれないから。

既得権益というやつですな。

恩恵を受けていない人が声をあげて、周りの人たちと協力をして変えていく必要があります。

応援はしますが、僕のライフワークではないということがわかりました。

 

3)セックスとは行為ではない

進行役の関根信一さんの言葉にガツンと来ました。

世の中の思い込みに縛られている自分から自由になった気がしたのです。

そのことを打ち上げも終わって家に帰りうちの奥さんと話していたら

「当たり前じゃないの。

ダニエルも言ってたじゃない。」

ダニエルとは僕らのセラピーのメンターの1人です。

彼は言っていたのです。

 

「セックスとはアップ、ダウンすることじゃないんだ。

そんな行為になんの意味があるんだ!」

 

スゴイこと言う人だなと思っていたのです。そして

 

「セックスの始まりはいつか知ってるか?

ベッドに入ってからじゃないんだぞ。

朝起きた時から始まっているんだ。」

 

意味わかりますか?

セックスとは行為ではないのです。

お互いのエネルギーを交換するのです。

エネルギーとは目に見えない大切なものです。

大切なものは人ぞれぞれあるでしょう。

例えば、言葉、感情、元気、愛情、勇気、自信、安心、喜び・・・

愛と言ってもいかもしれません。

それぞれのエネルギーが交わった時に何かが生まれるのです。

 

頭ではこのことは覚えていました。

ところが関根さんのセリフで腑に落ちたのです。

誰が何をどのタイミングで言うのかってとっても大事ですね。

ありがとうございます。

 

社会に不平不満を持つパターンを発見しました。

それは、社会の中で自分が損をしていると感じている場合です。

性別、学歴、年収、家柄、役職、給料、サービス・・・

他人は受けられているのに自分は受け入れられていない。

それが社会などの組織的なものであったりした時に不平不満を持つんだということ。

だから攻撃的になりやすい。

「利益を受けている奴らを倒せ。」という革命を起こすようなエネルギーが生まれます。

僕の中でも革命家の要素はあります。

世の中をよりよくしたいと思っている。

ただそれは静かな革命が理想です。

僕は北風と太陽の話なら太陽を選ぶ人なのです。

それが個人の内面からの変革ということなのかもしれません。

 

もうひとりの進行役の柏木陽さんの話も興味深かった。

良妻賢母という考え方が定着したのは戦後。

男性は会社、女性は家という構造が生まれたのは戦後なんだそうだ。

つまり家のことをするのは女性の仕事という常識が生まれたのはこの時。

これなぜかと考えると・・・

白物家電を売るための戦略なのかと思ってしまう。

家族のためにお母さんが家事をする。

一家に一台、白物家電。数が売れるよね。

白物家電を売っていたメーカーは、バブルまでは好調で、今はね、もうね、いろいろ大変ですよね。

新しい常識が生まれるのか、多様化していくのか。

男女の役割がまた違う局面になっていくのかもしれません。

 

発表を観劇してくれた人たちは、パブリックシアター関係者と地域の物語参加者がほとんどでした。

つまり女性がほとんどでした。

男性が演じてそれを女性が見る。

新鮮な感覚でした。

パブリックシアターで上演された「女性編」の返歌になっていたら良いな。

男性とか女性とか同じ舞台で交わらないと何も起きないかもしれない。

お互いがぶつかりあったとしても最後にはひとつになる。

そんな舞台があってもいいんじゃないかと思っています。

 

最近の雑誌でパートナーシップ系の話題の時には、部数が女性誌でさえも減るそうです。

男性はできれば見たくない問題がパートナーシップ。

この関係のワークショップには男性の参加率は極端に少ないです。

新しい形を見つける必要があるのかもしれませんね。

 

その体現者としてうちら夫婦のパートナーシップにエネルギーを注いでいきます。

そして、社会の人たちともパートナーシップを結んでいこう。

その決意をして、地域の物語2016「生と性をめぐるささやかな冒険」<男性編>を締めくくります。

 

■ソース・ ワークショップ
ワクワクという切り口から自分を知るための現代版自己探求プログラムです。
http://www.yoriyoku.com/source

■個人セッション
心と体を統合することで過去が変わり今が変わり未来が変わります
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm

■ライフチェンジ・プログラム(個人向け)
よりよい人生を歩みたい方へ!
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm


男社会には男社会の掟がある@生と性をめぐるささやかな冒険<男性編>

世田谷パブリックシアターで行なわれている演劇ワークショップ「生と性をめぐるささやかな冒険<男性編>」に参加しています。

今回が3回目。生と性をめぐるささやかな冒険<女性編>の観劇もワークショップに入っているので正確にいうと4回目です。

女性編のアフタートークでお決まりのウーマンリブなノリに違和感を感じていたり、女性の良いところなんてないじゃないかと思ったりもしながら参加した会でした。

人の出足も遅く、ボチボチと人が集まり始めるスローなスタート。

ファシリテーターの柏木さんを中心に男性陣の参加者と情報を共有しあう。

 

興味深いのは、女性編では個人の生々しい傷跡を話すというわけでなく、一般論へと話が流れていく。

そして、男子特有のくだらないノリになっていく。

いわゆるゲスな話になっていくのだ。

 

今までは「男性ってアホだなぁ」と思うくらいでした。

あれっ?なんかあるんじゃないかと洞察を深めてみました。

 

女性は攻撃的であり、男性は調和を重んじる生き物ではないのかという気づきがありました。

 

女性って社会から抑圧されていると感じている人が女性問題を扱うことが多い。

そうでなければ、生と性を考えるワークショップには参加しないでしょう。

不当に扱われているという怒りが根底にあるのだろう。

極めて攻撃的な側面を持っている。

「そうだ!そうだ!」と声高らかに叫んでいる印象だ。

 

男性編で感じているのは、問題を問題とせず、笑いに変えようというエネルギーを感じる。

生と性の話はワイ談なのだ。

ゲスな話としての文脈を持つことで、誰も傷つけ合わないように気を使いあっている。

肉体としての男性は凶器にもなりうる。

最後の最後まで追い込まれなければ暴力という手段は使いたくないのだ。

極力、殴り合いにならないように、会話の中で調整がされている。

それが男子特有のアホさがコミュニケーションを円滑にする手段になっているのではないか。

 

これは幼い頃より男として育てられる過程において自然に身についたもの、もしくはDNAに刻まれているくらいに当たり前のことなのかもしれない。

平和的な解決をしようとするがためにアホなのだ。

 

男性が多く集まっている場をサル山に例えたりするけれど、あれはあれで平和的な解決になっているのではないだろうか。

殴り合いの最終形は戦争だから、サル山くらいの争いは平和なものであろう。

 

ワークショップの話に戻ると、来週月曜日にささやかながら稽古場での発表会が行われれる。

その演目を考えながら練習をする。

くだらない(笑)

どうしてもこうもくだらないのだろう。

くだらなすぎて笑うしかないのだ。

これが男性の性に対する認知の表現になのだ。

 

そういえば、アメリカに「セクシャリティ」というテーマのセラピーのワークショップを受けに行ったことがある。

その時の男性ファシリテーターが、アメリカの社会では、セクシャリティをまじめに語ることは難しい。

なぜならそういう文化なのだ。

スラングだったり、変な笑い方をするかもしれないけれど、そこはわかってもらいたいと言われたことを思いだした。

向き合うことがとても難しい課題なのだ。

特に社会性を持った性の話は難しいのだ。

 

最近の女性誌でも「夫婦関係をよくしよう」という特集の時には売り上げが激減するそうだ。

もう諦めている人も多いのかもしれないけれど、女性が社会進出するようになって、性の話をしずらくなっているのが原因かもしれない。

 

社会性というのは男性性のエネルギーを持つ。

女性がスムーズに社会に進出をするには時間がでしょう。

何千年?何万年も男女の役割が分担されていたのだ。

男性が時間をかけて作り上げたのが今の社会。

 

男女が共同で社会を作るとどうなるのであろうか?

 

 

パブリックとプライベートの壁がなくなるのであろうか?

個人と社会という構図になるだろうか?

どんな未来創っていきたいのか?

そこが問われている。

 

ただ、これだけはいえる。

世界はどんどんと良くなっていく。

 

■ソース・ ワークショップ
ワクワクという切り口から自分を知るための現代版自己探求プログラムです。
http://www.yoriyoku.com/source

■個人セッション
心と体を統合することで過去が変わり今が変わり未来が変わります
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm

■ライフチェンジ・プログラム(個人向け)
よりよい人生を歩みたい方へ!
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm

 

 


生と性の話は一般化できるのか、それとも個別化なのか?

世田谷パブリックシアターでワークショップ地域の物語2016「生と性をめぐるささやかな冒険<女性編>」の発表会を観劇。

このプロジェクトの発表会は、そんな呼び方で呼ぶのは失礼なほど完成度は高く作品として成立しています。

出演者以外はすべてプロ。

そして出演者が体験してきた話を物語にして発表する。

半ドキュメンタリーのような生々しさがそこにはある。

この数年、個人の物語が普遍性を持つのかということを徹底的に追及しているような感じもしている。

 

プロセラピストの上田正敏です。

今までグループセラピーの現場でたくさんの事例を見てきた。

今回の地域の物語は、それに近いものを感じる。

何が違うのかといえばカタルシスはあるんだけれど癒しはそこにはない。

いや違うな・・・癒しはあるけれど癒されるかは別の問題なのかもしれない。

 

すごいものを見ちゃったなという感じです。

癒されていないテーマを伝えるって切実さが鬼気迫るものがあります。

 

舞台にいろんな女性が立つだけで圧巻です。

テレビや映画の非現実的な人たちが立っているのではなく、一般の人が立っている。

それだけで多様性という物語が展開されている。

 

体を見るだけで、その背景にある物語が見えてしまうようになったからか。

それともリアルな日常が舞台の上にあるからか。

人が持つ無意識の表現ってすごいものがあるなと。

 

作品の中で「私もきれいな服が着たい」というようなセリフがあった。

僕の周りにはファッションコーディネーターの友人がたくさんいる。

僕自身もコンサルティングを受けたことがある。

では、その方にその情報を伝えたら問題が解決するかといえばそうではないのだろう。

問題の根っこは別なところにある。

 

毒親の話もでてくる。

アダルトチルドレンとかインナーチャイルドだとかの延長で毒親という言葉がでてきた。

親が子供に影響を与えるのは当たり前。

さらに自分たちも子供世代に影響を与える。

その連鎖は人類の歴史だけ続いている。

その最先端の物語が今なのだ。

 

最後の祈りの言葉が印象的だった。

そこにグッとくるものがあった。

最後はここに落ちたのが救いだった。

 

アフタートークも盛り上がったんだけど、女性と男性の対立軸になっちゃうのはもったいないなと。

「女性は抑圧されている。男性なんて死ね。」

みたいな論調になるのはしょうがないものなのか。

 

抑圧している側は、特権を持っているので、問題には気づかない。

抑圧されている側が声をあげて革命を起こしていく。

歴史を振り返ってもそんな感じだ。

この革命の部分を、ハードでいくのかソフトでいくのかの違いがあるのだろう。

どうもトラウマの強さが「戦うか逃げるか」というアドレナリンの反応になってしまうのでしょう。

戦いのエネルギーになってしまうものを違うものに変換できないのかと思ってしまう。

男女という対立軸を作るとわかりやすいからなのかもしれません。

 

このワークショップを担当している演出家である山田珠実さんことたまちゃんがニュートラルであることがアンカーとなっているから安心感がありました。

このわかりやすい対立軸に逃げ込むことに、まったをかける。

男とか女とか一般化する問題ではないのだ。

 

すべての問題は個別化である。

痛みというものは他人にはわからない。

もちろん想像することはできるし、共感もできる。

でも想像しかできないのである。

 

生きること、性のこと。

この体験はすべて個人のものだ。

人の数だけ喜びと悲しみと痛みがある。

だからこそ物語が生まれる。

似た経験をしている人たちはいるからこそ、一般化もしやすい。

生きることと性のことはレインボーなんだ。

すべてがグラデーションともいえるし、みんなが違ってみんな良いだ。

 

こういった作品を作るという行為が、地域への影響、劇場への影響、スタッフへの影響、演出家への影響、参加者への影響、観劇者への影響がどのようにあるのか興味がわく。

 

僕は科学性とか客観性の一般化が好きだったんだけど、最近は個別化に興味があるということがハッキリわかったのが収穫。

そして対立軸を超えた表現に興味があるということも。

 

地域の物語の関係者の皆様、ありがとうございました!

「男性編」の残り2回のワークショップを楽しみます。


地域の物語ワークショップ2016 番外編『生と性をめぐるささやかな冒険』<男性編>

男性の行動の根本にあるのは暇つぶしである。

人は記号しか見ていない。

男性は単純、女性は複雑。

 

久々に演劇ワークショップに参加しています。

全5回のワークショップの1回目。

 

今年の地域の物語は女性だけの募集があり、男性編はなかったそうです。

が、進行役の柏木陽さんが

「男性編もやろうよ。

えっ?いいだしっぺの俺がやるの?

まぁそれじゃ、やりましょうか。」

というようなやり取りがあって開催だったそうです。

 

演劇ワークショップのファシリテーターで三本の指に入る人が柏木陽さんです。もうひとりは平田オリザさん。

ワークショップデザイナー育成プログラムの講師をされていた関係で出会い、いろんなところで彼の技を盗もうと追っかけをしていました(笑)

 

他の進行役に、劇団フライングステージの関根信一さん、青年団の山本雅幸さんという豪華な顔ぶれ。学芸の韮崎大さんもいい味をだしています。

 

参加者はボディタイプが男性の方々。

久々に男性だけに囲まれた不思議な空間。

高校の入学式で教室に入った時に感じた「!」という感覚を思い出しました。

なんだかわからない圧倒感がありました。

 

演劇なアプローチから自然と深いところに入っていく動線はさすがは柏木さん。

男性だからこそのぶっちゃけもあるんですが、中学生男子のレベルな感じもしないでもない。

男性はハッキリいって性のことなんて考えたことない人が大半なんですよ。

女性の裸くらいは常に考えているかもしれませんが・・・

 

女性編は、伝え聞くことによるとかなり濃いらしいです。

男性よりも女性は女性であることを意識させられる社会なんでしょうね。

社会は男性が作ったようなものなので、アドバンテージがある男性は生きやすいので違和感は感じずらいでしょう。

でもね、女性は女性であることを男性よりも意識させられることが多い様です。

しかも女性という性を多様性を持ってとらえている。

男性の様な単純化された記号化されたような性の捉え方をしていないのでしょうね。

 

生や性のことってデリケートなことなので他人の言ったことは書きません。

僕があの場で発言したことをいくつか・・・

 

 

人は記号しか見ていない。

例えば、結婚指輪をしていれば女性から信用され、スーツを着ていれば社会から信用される。

社会的な常識に従っていると人は安心するのです。

しかもそれが見た目で判断されるのです。

そこから外れるとアウト!

人の内面の豊かさなんて見ようともしていないし、興味もないのが実情でしょう。

社会の決められたルールに従ったほうがスムーズにいくことが多いのです。

この常識を覆すのには時間がかなりかかるでしょうね。

100年単位で物事を見る必要がありそうです。

 

男性の行動の根本にあるのは暇つぶしである。

これは発生学的に考えるとわかりやすい。

性ができたのは生をつなぐためにできています。

細胞分裂というコピーだと種の多様性が生まれないので絶滅の恐れがある。

だからメスからバグとして生まれたオスが必要になっています。

オスはメスの劣化版みたいなもの。

オスとメスがかけ合わさることで多様性が生まれて絶滅の危険が少なくなります。

生き物の戦略はDNAを残すことです。

つまり種の伝達。

子供を産み育てることが一番の重要な仕事です。

 

そう考えるとオスはセックスの時にしか必要ないのです。

種の保存からすれば、それしか仕事がないのです。

メスは子を産み育てるという大切な仕事がずっとあります。

 

オスは暇なんです。

とある部族は、他の部族との縄張り争いしか仕事がありません。

ずっと遊んでいるのです。

暇なんです。

 

だから社会を作った。

男が楽しむために社会のルールを作りました。

これは遊びのゲームでしかありません。

 

仕事、スポーツ、芸術、遊び、戦争、政治、経済、法律・・・

すべてが男性の暇つぶしのためのゲームです。

だからこそ女性の社会進出が難しいのではないでしょうか。

 

そう考えていることを改めて思い返しました。

 

女性編の作品発表がシアタートラムであります。

日時:2016/03/20(日・祝) ・21(月・祝)
開演:15時
料金:無料
場所:シアタートラム
詳細はこちらhttp://setagaya-pt.jp/performances/20160320chiiki_happyoukai.html

噂が噂を呼び地域の物語は無料だけれどプレミアムチケットになるくらいに人気があります。

予約をお勧めします。

ちなみに僕は21日に観劇予定です。


地域の物語「3コース合同プログラム上映会&振り返り」

世田谷パブリックシアターで行なわれていたワークショップ「地域の物語」。

3月24日(日)にその発表をシアタートラムで行なわれた舞台映像をみて、振り返りをしようという企画でした。

これでワークショップも終わりであり、それでも人生は続くという始まりであり、自分の姿を見るのが恥ずかしかったり、作品としてみることを楽しみにしていたり、いろんな思いを持ちながら参加しました。

地域の物語ワークショップ2013 3コース合同プログラム「上映会&ふりかえり」

3週間ぶりの再会なのに、もう同窓会の雰囲気ですね。

3ヶ月間の共同制作って学校に通っているように楽しい時間でした。

 

映像で作品をみました。

吉田小夏さん率いるAコース「私の結婚」は、もう爽やか。結婚の光の側面が全面にでてきて、影の部分は笑いなっていて、演劇って楽しいなぁ・・・という感じ。

ワークショップで仮想の夫婦を作り三茶の町歩きをしたりしたそうで、その楽しさが伝わってきました。

 

楠原竜也さん率いるCコース「ふたり」は僕が参加したチーム。抽象的な作品で見る人により感じ方が違ったのではないかと。登場のシーンだけで10分を超えるという緊張と集中を要するアーティスティックな作品でした。

舞台の彼方此方で同時多発的にいろんなことが起きているので情報量にも圧倒。自分が演じている時には他の人たちをちゃんと見ていないからね。感じていたことを視覚化として後から確認すると脳内でいろんなものがつながる感覚が面白い。

それぞれに見せ場があっていい感じでした。

 

瀬戸山美咲さん率いるBコース「100の結婚」は、結婚って何だ?という問いを突きつけられました。この作品が最後だったのでこれを見た観客の人たちはしばらくこのテーマについて考えさせられたんじゃないかと。

ワークショップでは長く連れ添った夫婦、外国人との結婚、同性愛の結婚の取材からリアルな他の方の人生を描くことで、様々なことが見えたんじゃないかなと想像したり。

僕自身は結婚をしたほうがいい派です。共に分かち合うパートナーがいるってとても大事なことだと思っています。色々あるからこそ、色々と思い出ができる。結婚に限らずパートナーシップがあるといいなと思っています。

僕自身の台詞で「人は基本的にひとり。」というのがあります。(自分で作った詩の一節です。)

これは真理だと思っています。これが前提にあるからこそ「ひとり」が手を伸ばしてつながり「ふたり」になるって大事なことになるんですよ。

はっきりとした意志がなければ「ふたり」は存在しないのではないかとさえ思っています。

地域の物語「みんなの結婚」

DVDを見た後に聞いた話では、映像よりも舞台で見たほうが100倍感動したと。

人と人が対峙するというだけで何かがあるんでしょうね。

例えば、匂いとか皮膚感覚を通じての情報の交換を無意識でやっているのでしょう。

 

振り返り。全体を通じた振り返りとグループに分かれた振り返りがありました。

グループは「表現と自分」「結婚と自分」「地域と自分」「劇場と自分」という4つのテーマに分かれて5人グループで。

僕は「地域と自分」というテーマで。理由は、このテーマ以外はすべて振り返りをして自分なりの答えを見つけていたから。

このグループのファシリテーターにはカラダコーチの山田珠実さんが。彼女は去年の『地域の物語~1960年代の世田谷』Cコース「カラダの未来」担当でお世話になりました。たまちゃんは、ファシリテーターとしての視点と進行が素晴らしい。人間力が高く着眼点が斬新で学びが多いのです。ラッキーでした。

地域になじめない感、地域での子育て、おせっかいおばさんが足りない、地域の取材の面白さ、近所の人たちを知りたい知られたくない、時間は短いながらも様々な話ができて良かったな。みなさんそれぞれいろんなことを考えているのが興味深かったです。

僕自身はこの地域の物語に参加したことを、フィットネススタジオのインストラクターの方と話をしたり、お花屋さんに話をしたり、舞台をネタに地域の人たちとふれあう機会がもらえたのが良かったです。

地域の人と地域の話をする機会ってほとんどないことに気づきました。

お店で買い物をしたりしても話をしないものね。

いろんな人に話をすることで、新しい世界が広がるようなそんな感覚がありました。リアルでも数十人。ブログを含めたら何百人の人に地域の物語の話をしたのだろうか。

社会的な活動は口コミで広げることも大事ですね。この口コミそのものも演劇のような気がしています。

何回も伝えることによって自分の中が整理されたり、観てみたいと興味を持ってくれたり、来年はでてみたいという人がいたり、地元でもこんな活動ができたらいいなと刺激を与えたり、ワークショップや舞台以外も劇場になっていくようなそんな感覚。

人生は舞台だ。主役は自分。そんな感覚が目覚めてきました。

 

で、全体を共有する時には、世田谷パブリックシアターWS名物というかなんというかグダグダ感がいっぱいでした(笑)

それもまたらしいんですよね。

ちゃんと全体に話をするにはもっと時間が欲しかったなぁ。1日かけても良かったんじゃないかと。午前中に映像を鑑賞して、午後に振り返りをワークショップ形式でみっちりと。夜は懇談会。そのくらい丁寧な感じもいいな。

 

振り返りの時にずっと考えていた答えのひとつが見えてきました。

それは、プロの役者さんになれる人となれない人の差はなんなのかと。

自分自身を客観視ができるか否か。ということです。

自分の欲求の発散の場でもなく、素人とかそういうことを言い訳にするでもなく、表現をお金で量られる恐怖を感じるとかでもなく、ただそこにいる感じ、そしてそれを観ている自分もどこかにいる。そういうことなのかって。

まぁ、僕が真面目でストイックに物事を考えすぎなのかもしれません。

与える側と受け取る側。どちらも自由に行き来できるといいな。

地域の物語

そして懇親会。いろんなことを話せました。

やっぱり自分たちを労うって行為は重要ですね。

3週間という時間を置いたことで、それぞれの成長も感じられました。

お世話になった進行役のたっちゃんとアシスタントのるいるいには感謝の気持ちとして花束を。

そしてスタッフの方々にもCコース似顔絵を。

地域の物語Cコース「ふたり」似顔絵

似ている似ていないの賛否両論がありますが、それは僕の画力のせいです(笑)

まぁ特徴は押さえているんじゃないかと。

Tシャツ案もでたりして、物を作るって初めの一歩としては、とても大きいものですね。

物があるとアイデアが浮かびやすい。

無形のものばかり追いかけていたけれど、有形のものもいいなと思う今日この頃。

 

これからも世田谷パブリックシアターでしかできないことをやってもらいたいな。

劇場という人が集う場所があることこそが、パブリックシアターの最大の魅力です。

そこに集うアーティスト、観客、ワークショップやレクチャーの参加者たち。

東京にあるものを似せて地方で作ろうとしてたくさんの失敗をしてきました。それでわかったことは、東京は特殊な場所ということ。

その東京の中でも世田谷というちょっと不思議なところでしかできないことをやってもらいたい。

できたら一緒に考えていけたら良いなと思う今日この頃。

 

サンキュー パブリックシアター! サンキュー 愉快な仲間たち!

以上です。

 ■地域の物語ワークショップCコース活動の記録

  1.  1日目 出会うことは喜びである
  2.  2日目 すべてが個性でしかない
  3.  3日目 ハッピーバースディ
  4.  4日目 歩こう!
  5.  5日目 ふたり
  6.  6日目 話を聞けない大人たち
  7.  番外編 インからアウト
  8.  7日目 つながる
  9.   合同 3コース合同プログラム
  10.  8日目 群舞ができた!?
  11.  9日目 グダグダ
  12. 10日目 ルールとインスピレーション
  13. 11日目 作品全体が見えてきた!
  14. 12日目 時間!時間!ダンスの時間!
  15.  補講日 舞台に上がる!
  16. 13日目 舞台稽古と最終調整
  17. 本番当日 「地域の物語」ワークショップ本番当日
  18. 振り返り 「ワークショップ」としての振り返り
  19. 振り返り 「作品」としての振り返り
  20.   合同 3コース合同プログラム上映会&振り返り

<関係先リンク>
■世田谷パブリックシアター
■Cコース「ふたり」地域の物語ワークショップ2013
■地域の物語~みんなの結婚 46名のワークショップ参加者+3名の進行役/演出家/劇作家/振付家による作品


地域の物語〜みんなの結婚「作品」としての振り返り

前回のブログ「ワークショップ」としての振り返りに続き、世田谷パブリックシアターで行なわれた地域の物語ワークショップを「作品」としての振り返りをします。

このワークショップは「市民劇」を作るものと位置づけられると思います。

今現在の市民劇のスタンダードは、既存の台本を使って作品を作るというものではなく、参加者が取材したり、そのテーマに向き合って自分たちで台本も作っていくというものが主流といってもいいでしょう。進行役(演出家・劇作家)の人はその方向性を示したり、まとめたりしていきます。

演劇というと演出家がどなりつけて稽古をつけるようなイメージがあったのですが、そんなことはありません(笑)

このイメージはかなり昔のものらしい。

真剣さの中にも和気あいあいとして雰囲気でワークショップは行なわれました。

地域の物語Cコース「ふたり」(舞台稽古風景)

※写真はすべて通し稽古のものです。

今年の地域の物語のメインテーマは「みんなの結婚」というもので、3コースが同時並行で進んでいました。

Aコースは「私の結婚」というサブテーマで、劇作家・演出家・俳優の吉田小夏さんが担当で演劇制作の進行役を、

Bコースは「100の結婚」というサブテーマで、劇作家・演出家の瀬戸山美咲さんが担当で演劇制作の進行役を、

そして、僕が参加したCコースは「ふたり」というサブテーマで、振付家・ダンサーの楠原竜也さんが担当でダンスの進行役を担いました。

作品としてはこの3つを1つの作品として発表するというもの。

小学校の時にやった学芸会や学習発表会とも違う趣です。

(最近では、劇場が学校にアーティストを派遣する事業があったりするので、見応えのある素晴らしい学芸会もあったりします。以前に富士見ヶ丘小学校に見学に行かせてもらい感動しちゃいました。ちなみに世田谷区もパブリックシアターが学校にアーティスを派遣する事業をやっています。ちなみに世田谷美術館もそんなことをしています。)

それは進行役がアーティストだからでしょう。

僕はこのワークショップの醍醐味のひとつは、アーティストと普通の人たちのふれあいだと思っています。

街を歩いていも奇抜な人には会うかもしれないけれど、まずアーティストに出会うことはありません。

アーティストって変な人なんじゃないかと偏見を持っていたのですが、いたって常識ある普通の人たちでした。

舞台芸術に真剣に向き合って作品を作っている優しい人たちです。

その道の専門家なんです。

そして、集まってくる人たちも、ある意味で他分野の専門家です。

「私、ただの普通の人」という言い方をする人も多いんだけど、生きてきた分だけ自分自身の専門家です。

誰も他の人の人生を味わうことができないので、来る人がすべて特別な人たちでもあるんです。

経験がみんな違うからね。

集まってきた人たちの経験も大切にして作品を作るのが、今回の地域の物語ワークショップです。

地域の物語Cコース「ふたり」(舞台稽古風景)

僕の参加したのはダンスのCコースでした。

この「ダンス」というのも既存のダンスの概念とは違います。

「リズムにのって振り付けを覚えて踊る」というものではなく、「その人の体からでてくる動きから、動きを作る」というものなんです。

体の動きそのものがダンスというとらえかたなんです。

ダンスというよりもパフォーミングアートという言い方が適切かもしれません。

この体の動きも2人で行なえばペアダンスにもなるんです。

相手を感じて動くだけでダンスになります。

自然とお互いに自由に動いていても呼応して影響しあいますし。

 

さらに言っちゃえば、立っているだけでダンスなんです。

この立っているだけでも興味深く見ることができるんです。

 

そこに何が見えるのか・・・

その人の今まで生きてきたすべてが見えるのです。

体の形、体の使い方、くせ・・・それは体を鍛えたのかもしれないし、怪我をしたのかもしれない。また、慢性的に何かあるのかもしれない、生まれつきなのかもしれません。

今までの履歴すべてがそこに詰まっています。

立っているだけでその人の人生をさらけだしているのです。

 

心理セラピストという職業柄、その人がどんな人かを見るスキルは訓練して身につけています。人相学から姿勢分析まで普段は使っていて、僕は問題解決や夢を実現する手段として使い、演劇は表現の手段として使うのです。この辺りを研究したくて演劇を学んでいたりもします。

作品「ふたり」の中の台詞で「ふたりの関係性は、距離と視線だと感じました。」というものがあります。

パートナーシップや人間関係を扱うセラピーの中で距離と視線を使ったりもするので、異分野から学ぶことも多いですね。

地域の物語Cコース「ふたり」(舞台稽古風景)

作品の作り方がユニークでした。

  • 町中のふたりを観察して、それを動きや詩としてを発表する。
  • ふたりから連想する、振りを作る。
  • など。

他人を観察して、自分の体を一旦通して表現をする。

自分の記憶から、自分の体を通して表現をする。

表現手段は自分の体だけ。または、言葉。

この言葉も自分がどんな言葉を選ぶかはその人自身がでてきます。

他者を見ていても自分を観ていることにしかならないのです。

 

その動きを進行役が一旦自分の体に入れて動きを作る。

進行役のセンスでどの動きが選ばれるのかが興味深いです。

きっと、その人らしい動きを選んでいるのではなかろうかと。

「えっ!それなんだ!」という新鮮な驚きがあったり、「あぁ、いつもそうだよね」という納得感があったり、「そんな動きしていたっけ」という意識していないものがあったり、この辺りがアーティスの腕というか真骨頂なんでしょうね。

 

そして、その動きを、自分で再現していく。さらにはそれを全員でやったり。

整理すると・・・

他者の動き(非観察者)→自分の動き→他者の動き(芸術家)→自分の動き→他者の動き(参加者全員の動き)

と「動き」が他者と自分を行き来する。

この一連の作業で、動きがだんだんと抽象化されていくんです。

つまりは動きが自分から離れて普遍性を持っていく。

ダンスのルーツを見ているかのようです。

地域の物語Cコース「ふたり」(舞台稽古風景)

見ているととっても面白くて、みんなダンスの振り写し(そっくりマネること)ができないんです。

ほんとものの見事に同じ動きがみんなできない。

これは技術的な問題なんです。

ダンサーは見た動きを自分の体をコントロールしきって動かすことができるんですが、普通はできません。

僕らはどんな動きも個性的な動きにしかならないんです(笑)

これはこれで面白いんだけど、群舞を踊る時には足かせにもなったりします。

同じ動きをすることで、その上にその人の個性が表現されることが消えてしまうから。

同じ動きをするからこそ、個性が際立つこともあるのです。

 

「適当にやりますよ。なんとかなりますよ。」という参加者がいました。

その方にゲネプロが終わった後、アシスタントが「それじゃダメ!」と今までにない強さで言い、振りを徹底的に練習をしたんです。

そうしたらね、その「適当にやる」と言っていた人の動きが輝きだしたんです。

魅力が全面に現れてきたんです。「うわっ!」と思わす驚きました。

それを見ていた仲間が一人一人とそのダンスの輪に加わり、見事な群舞ができあがっていきました。

もちろん、僕もその輪に自然と加わっていきましたよ。

これも集団で踊る群舞の原型なんでしょうね。体験から学ぶことほんと多いです。

僕は物事の本質を知りたいし解明したい人なんです。こんな気づきが生まれるともうワクワクがとまりませんでした。

 

全体アドバーザーのなるさんから「あなたは、振りや段取りはすでに踊りを覚えていて、舞台上で楽しんでいるねぇ。」と言われました。

今回は自分でビデオを撮ったり、自分で音楽を分析したり、自分で踊りも書き出したり、自分で段取りの表を作ったりしました。

誰かが作ったものを自分自身の手で整理してみたのです。

そうしたら覚えちゃったんです(笑)

舞台に上がるのは3回目なんです。舞台は覚えたらゴールだと思っていました。1回目の青年団の演劇入門というワークショップで演劇をやった時には、ほとんどみんなそんな感じでした。それが精一杯。そのせいかイマイチやり残し感があったんです。

今回は、覚えた先に世界が広がっているんだという経験をしたのです。

演出が入っても楽しい、段取りが変わっても楽しいんです。

何が楽しいかといえば、ちょっとしたことで、場の雰囲気が全く違うものになるからです。

小さな変化が大きな結果を生むのを目の当たりにすると、やっぱりそういうもんなんだなと納得できたんですよね。

「台本を覚えてからが本当の演劇が始まる」という言葉はおぼえていたんですが、楽しい世界は基本を覚えてからなんですね。

作品作りから上演するまで新しい世界がたくさん見えました。

自分の中に眠る可能性や才能を引き出すのに演劇的な技術はとても役立ちます。

 

最後の舞台は、もう演者も観客も緊張感がすごかったんじゃないかな。

人間そのものが持つ質感をそのままぶつけたような舞台だと思っています。

人間力勝負というのでしょうか。

人と人が出会って向き合う。それだけで何かが伝わったんじゃないかと。

 

外国でも通用するんじゃないか。そんな感想をアシスタントの方から言葉をいただいたり。

自他ともに最後の本番が一番良かったというピークを最後に持ってきてくれたのも進行役の手腕なんでしょうね。

 

見てくれた人がどんな感想を持ったのか。

「なんだこれは!醜悪だ!」と思ってくれたら幸いです。

多分、そうなんじゃないかと(笑)

地域の物語Cコース「ふたり」(舞台稽古風景)

地域の物語のワークショップで「芸術」の素晴らしさを知れたことは人生の宝になりそうです。

誰もが芸術にふれ、自分でやってみる経験を1度でもするといいんじゃないかな。

表現を見る側から表現をする側へ

以上です。


地域の物語2013「ワークショップ」としての振り返り

地域の物語ワークショップの舞台発表が終わったので、今現在の振り返りをしておきます。

■ワークショップとしての地域の物語

市民に開かれた公共劇場として作られたのが世田谷パブリックシアター。

演劇やダンス作品を上演する劇場という枠を超えて、誰もが参加できるワークショップなども企画運営しています。

アウトリーチといって、市民が劇場に足を運んでくれるのを待つだけでなく、劇場から地域社会に積極的に進出していく活動をしていこうという活動をしています。

ヨーロッパやアメリカではかなり普及しているスタイルなんだそうです。

日本ではここ世田谷パブリックシアターが手本となるべく積極的に活動している劇場です。

なので、学芸というセミナーやワークショップ部門も洗練されています。

劇場という場所と建物だけでなく、学芸というスタッフが充実していて受け皿としての体制は万全のようにみえます。

その器にワークショップを全国各地でやっているステキな人たちを講師に迎えたり、ワークショップを開催する人を養成するような講座も開催しています。

この地域の物語ワークショップも1998年から始まり、毎年開催され、今回が15回目になります。

と一般的な説明はこれくらいにして、感想を書いておきます。

地域の物語ワークショップ

僕たち参加者が15名、進行役のアーティストが2名、学芸スタッフが3名というチームでワークショップをやりました。

時にはスタッフも一緒にワークショップに参加し交流したりもしました。

明確な役割はどんどん希薄になっていきました。

誰もが平等であるという感じで、大人の尊重がある雰囲気でした。

普段は何をしているかほとんど知らないんだけど、ワークショップを重ねる毎に、その人となりがわかってくるのが地域の物語の醍醐味です。

肩書きよりも人間性が重要視されるようなそんな雰囲気。

場の雰囲気作りは公演に遊びにきた感覚で居心地がとても良いです。

過度なサービスもなく、かといって無視されるわけでもなく、それぞれがそれぞれのスタイルで時間を過ごすことができる見守りが心地よい。

 

進行役のたっちゃんこと楠原竜也さんは、とても細やかでよく人を観ています。

1回目でほぼ名前と顔を一致させ、名前を呼んでくれました。

「ここにいていいよ。」とそんなように言われている感じ。

アシスタントのるいるいこと千葉瑠依子さんもよく人を観察しています。

そして、たっちゃんの言うことを的確に例としてみんなに示してくれます。

言葉を体で表現できるってすごいですね。

そして、その精度が高いし、見ていてもさすがだな、あんなふうにできたらいいな、と感じさせてくれました。

このワークをやった先には、この状態が待っていると思うと意欲が自然と湧いてきます。

 

この進行してくれた2人はとてもシンプルでした。言葉も洗練されていて無駄がない感じ。

そして意志の疎通もバッチリでした。

意図がブレないと安心感が増します。

 

プログラムそのものは、本当に3ヶ月で作品が出来上がるだろうかというハラハラドキドキ感がありました。

最初の2ヶ月は、ほとんど体を動かすことに時間を使いました。

これは、ほとんど遊びのように楽しいものでした。

楽しく学ぶことができるって大事なことですね。

僕が「おおっ!」と思ったのは、いわゆるアイスブレークという呼ばれるどうでもいいワークがなかったこと。

その場をほぐすために「アイスブレークやります!」と最初にやるワークショップの90%はろくなものはありません(笑)この数字は僕の経験値ですが。

今回のワークショップで行なったワークのすべてが「ふたり」につながるようなものばかり。

そのために身体性を感覚を磨いていくものだったのです。

「なぜ、このワークをやるのか?」がとても明確になっているのはとても大切です。

必要不可欠なワークをやっているので、このワークを体験した参加者と体験しない参加者は、作品作りに大きく影響をおよぼしました。

動きがワークを体験した人のほうが明らかにいいのです。僕の目にも一発でわかるくらいに差が歴然としていました。

ワークを積み重ねることで作品が少しずつ出来上がって来る感はゾクゾクしました。

プロセスをとても大事にしているのが見事でした。

多分、ワークショップが行なわれる毎にミーティングを行なわれて、今後をどうするのか時間をかけて話し合ったんじゃないかなぁと予想しています。

ダンス経験なしでも安心して参加することができる内容だったし、経験者にはスキルアップを確実にできるエクササイズ満載でした。

 

作品作りに入ってからも集中力が高まっていくようなしかけをしていたように思えます。

いつ何をやるのが効果的なのか?

参加者の様子や状態をよく見ているからこそできることでしょう。

きっと、多くの引き出しを用意しておいて、現場で取捨選択をしたんじゃないかなと思っています。

最後のたっちゃんのこだわりは、舞台芸術家そのものでした。

ふだんアーティストに接する機会はないし、アーティストがどのように作品を作るかなんて見たことがありません。

結果しか見たことがないものばかり。

僕は映画でもメイキングのような制作過程がわかることがとても大好きなんです。

なぜなら、どのようなプロセスで作品を創造していくかに興味があるからです。

それを体感することで、クリエイティブな回路が自分の中にできた感じがしています。

これぞワークショップの醍醐味ですね。

たっちゃんが作品作りで細かいところまでこだわっている姿に感動しました。

このこだわりが作品に深みを増していくことを肌で感じられました。

 

ワークショップは結果だけでなく過程が大事と言われています。

このプロの舞台芸術家と長い時間を過ごすことで、何か大事なものを受け取った感じがしています。

 

料理に例えると、僕たちが素材です。どんな素材なのか、ワークを通じて吟味されていたような感じがします。それをたっちゃんが料理をするというようなワークショップでした。

この素材がとても個性的で料理するのは大変だったのではなかろうかと思います。

誰と誰を組み合わせたらより魅力が輝くのか、どんな順番で行なえばそれぞれが輝くのか、即興が得意な人にはどんな指示をすればいいのか、段取りを覚えている人には何をさせたらいいのか・・・

人をよく見ていないとできないことばかりでした。

ほんと贅沢に時間も場所もお金も使っているワークショップです。

 

普段できない非日常体験が大切なんです。

ただ生きるだけでなく、どう生きるのかがとっても大切なんです。

豊かな社会になればなるほど、これはとても大事なことになっていきます。

人が人として豊かに生きるとは何かを感じました。

地域の物語ワークショップのパンフレット

参加者もワークショップから帰ればいろんな現実が待っています。

それをいったんすべておいて、作品作りに集中する。

もしかしたら小さな刺激かもしれないけれど、自分の持ち場に帰った時に何か変化が起きているばラッキーですね。

 

世田谷という地域の参加者が多いので、道でばったり会ったり、地元の話で盛り上がったり、また会おうという話がでたり、「地域」というテーマでつながれた仲間が増えていくのは嬉しいです。

そして、去年の地域の物語ワークショップ参加者が今年も参加したり、参加はできなかったけれど作品を見にきてくれたり、顔見知りが増えていきます。

サードプレイスという家庭でも職場でもない第3の場所の重要性が言われているけれど、不思議な居場所ができた感じが嬉しいです。

東京はつながりが希薄だと言われるけれど、自分が選べばつながりを持つことはできるんですね。

そのチャンスを公共が提供しているのはとってもステキです。

 

今この時だからこそできないこと、世田谷パブリックシアターでしかできないこと、このメンバーではないとできないこと。

それが詰まったワークショップでした。

世田谷パブリックシアターを通じて出会った人も増えてきました。

人と人が出会うからこそ何かが生まれるのです。

今回のテーマである「ふたり」という関係性を結ぶ場として最高の居場所がパブリックシアターという劇場にありました。

ありがとう!

以上です。

■地域の物語ワークショップCコース活動の記録

  1.  1日目 出会うことは喜びである
  2.  2日目 すべてが個性でしかない
  3.  3日目 ハッピーバースディ
  4.  4日目 歩こう!
  5.  5日目 ふたり
  6.  6日目 話を聞けない大人たち
  7.  番外編 インからアウト
  8.  7日目 つながる
  9.   合同 3コース合同プログラム
  10.  8日目 群舞ができた!?
  11.  9日目 グダグダ
  12. 10日目 ルールとインスピレーション
  13. 11日目 作品全体が見えてきた!
  14. 12日目 時間!時間!ダンスの時間!
  15.  補講日 舞台に上がる!
  16. 13日目 舞台稽古と最終調整
  17. 本番当日 「地域の物語」ワークショップ本番当日
  18. 振り返り 「ワークショップ」としての振り返り
  19. 振り返り 「作品」としての振り返り
  20.   合同 3コース合同プログラム上映会&振り返り

<関係先リンク>
■世田谷パブリックシアター
■Cコース「ふたり」地域の物語ワークショップ2013
■地域の物語~みんなの結婚 46名のワークショップ参加者+3名の進行役/演出家/劇作家/振付家による作品


「地域の物語」ワークショップ本番当日@世田谷パブリックシアター

地域の物語ワークショップ本番当日。

僕たちが3ヶ月かけて作ってきた作品は、劇場で舞台芸術として発表します。

最近はTEDなどがEテレで放送されているくらいにプレゼンテーションに注目がされています。

この地域の物語ワークショップも自分たちが感じたり、考えたり、取材したり、観察したり、体験したり、テーマに関していろいろやったことを、作品として作り上げ舞台で表現をします。まさにスーパープレゼンテーションです。

ただの学習発表会という形ではなく、芸術作品までに高めて舞台に乗せるという体験が学びを深めることになります。

それが地域の物語ワークショップ。

 

今年のテーマは「結婚」。

その中で僕たちCコースのテーマは「ふたり」。

進行役とアシスタント、学芸スタッフ、参加者らで作品を作り上げました。

みんながそれぞれがそれぞれの専門家です。

みんなの個性や経験を分かち合いながら作品が立ち上がっていく様は見事でした。

平日の昼間に集まれる個性豊かな人たちをよくぞまとめてくれました。

 

芸術作品を作る過程は面白く、個人の経験が個人から離れていき仲間たちで共有され仲間たちのものになる。

その仲間たちがその経験を演じたりすることで、仲間の経験からさえも離れていく。

その抽象化というか客観化というか、仲間からは慣れていくことで、普遍性を持ち作品として人様に魅せられるレベルに上がっていく。

個人の経験が作品として立ち上がってくると何か力がそこに宿るんです。

ステキな経験でした。

地域の物語ワークショップ 稽古風景

こんなウォーミングアップも今日で最後です。

終わりがあるから始まりがある。愛おしい時間です。

今日はスケジュールが朝から夜までびっしりと詰まっています。

ウォーミングアップ後、着替えてゲネプロ。

ゲネプロにもお客さんが招待されていて半分近く人が埋まっていました。

僕自身は、もうゲネプロで踊るのが楽しくて楽しくて。

舞台の上でダンスシーンはずっと笑っていました。

地域の物語ワークショップ

ゲネプロ後はみんなでご飯を食べながら振り返り。学生時代の合宿を思い出すような楽しい時間。

進行役のたっちゃんとるいるいからゲネプロを見てのさらに高みに上がるための演出をつけてもらいました。

それは・・・

  • 基本的にはとてもいい。
  • 新しいことや余計なことはやるな。なぜなら他の人たちへの影響があるから
  • ルールがハッキリとわかっていない人がいる。それは明確に
  • ダンスの振りや立ち位置がズレているところは再確認

というもの。ほんとみんなを細かく見ていてくれます。

ダメだしというよりも作品をよりよくしていくための愛ある言葉でした。

この時に興味深かったことは、「まぁ、なんとかなるでしょう。」と余裕をあるふりをしてできないことを誤摩化して仲間が、「さぁ!練習しよう!」とやる気満々になったことです。

欲がでてきたことがすごく良かった。

彼は作品の最初の「あらわる」という場面のキーマンだったのです。

 

僕らのチームのすごいところは、修正が入るとしっかりと受け止めて立て直すことができること。

これは、たっちゃんに感心されたところです。

この時のみんなの集中力もすごかったな。

 

本番前に、Cコース参加者に関わってきた人たち全員で円陣を組む。

もう僕はここで泣きそうです。

さらに出番前に袖で待っている時にも涙を我慢していました。

猛烈に感動していたんですね。

大人が真剣に遊ぶという行為。それが形になる瞬間。

その刹那に僕が感動する何かがあるんです。

 

Cコースの作品は演者も観客もずっと集中をしているようなそんな作品。

しかも抽象的で何を観客の想像力をかきたてるようなそんな芸術作品に高まっていました。

後の感想で、外国のこの作品を持っていきたいと言われたくらいに、作品を見たその場では何が起きたのかわからない、後々あれはあぁだったのではないか、う〜ん・・・と記憶に残る作品だったそうです。

はじまった直後からものすごい緊張感がありました。

客席も固唾を飲んでみているのがわかります。

演者と観客の間にある独特な空気感のような関わり方は最高でした。

舞台をやっている人たちは、あぁいう感覚を味わっているのかと、芸術のしっぽくらいはつかめたのかもしれないと思いました。

 

最初から最後までずっと集中がキレずに終わりました。

たっちゃんやるいるい曰く、奇跡の連続だったと。すごい作品だったと。

やっている僕たちもすごい作品だったとわかるんです。

そんなことってあるのですね。

 

他者を感じることをワークショップではかなり時間を割いてやったので、観客さえも感じることができるようになったからなのかな。

地域の物語2013Cコースのメンバー

舞台が終わった直後の写真です。充実感がいっぱいです。

晴れ晴れしい笑顔ですね。

地域の物語2013アフタートーク

これはアフタートーク。観客と演者が話し合える場って大事ですね。

舞台も双方向であることで豊かさが広がるような気がしています。

 

そして、振り返りの時間がありました。3ヶ月のワークショップを受けた感想などを語り合ったり。

もう至福の時間でした。

 

「あぁ、そんなこともあったのな。」

「えっ!そうだったの。」

「そうそう、そうだった。」

進行役のたっちゃんが言った言葉が心に響きました。

 

「僕は、ここにいる人たちだけでしかできないものを創りたい。」

 

そうなんだよね。天地人なんですよ。

天とは時代です。今しかできなこと。

地とは場所です。ここパブリックシアターでしかできないこと。

人は人です。集った人でしかできないこと。

これは一種の奇跡です。今この瞬間は今にしか存在しないんです。

次ってもうないんです。今しかないんです。

 

これって子どもの感覚です。子どもの頃は知っていた。次がないことを。

だからこそ今この瞬間を全力で楽しむのです。

大人になると次があると錯覚をするようになるんです。

もう同じことは決して起きないのに。

今この瞬間を楽しむこと以外に大事なことなんてあるのでしょうか。

 

で、打ち上げが稽古場であり、その後は三茶で夜の街に消えていく人たちも。

僕らは満足して家に帰り、ゆったりとふたりで語り合いました。

 

もしかしたら、気づきをあとで、もうちょっと書くかも。

では、寝ます(笑)

 

参加してくれた仲間たち「いわた都/上田恵子/上田正敏/上本竜平/内田浩美/金田海鶴/齋藤由美子/鹿野恵/たかのっち/ポラン/マイケルちあき/御原由美子/凛音」、進行役の楠原竜也さん、アシスタントの千葉瑠依子さん、全体アドバイザーの成沢富雄さん、世田谷パブリックシアター学芸の恵志美奈子さん、九谷倫恵子さん、福西千砂里さん、そして観にきてくれた人たち。ありがとう。

このブログを読んでくれたあなた。ありがとう!

以上です。


舞台稽古と最終調整

地域の物語ワークショップ13日目。

いよいよ本番は明日です。

興奮状態で朝の4時起きしてしまったりするんだけど、体を休ませるために強引に6時過ぎまで寝ました。

体は疲れているけれど、頭はハッキリとしています。

体はダメージを蓄積するのかもしれないけれど、頭というやつは元気でいることができるのかもしれません。

だからこそ、頭で体の声を聞くことも大事なのですね。

 

今日も抜けられない用事があるのにギリギリまで参加してくれた人がいたりして、全員で通し稽古できました。

みんなの意識が明日の舞台のために向いているって気持ちが良いものです。

 

9時半オンタイム集合なのに9時には稽古場に。さすがに誰もいず一番乗り(笑)

ウォーミングアップしていると少しずつ人が集まっていきます。

この感じがたまらなくいいです。

 

10時過ぎに衣装に着替えて舞台へ。

地域の物語ワークショップ シアタートラム

 

客席の真ん中に演出家席があり、劇場スタッフの人たちが真剣に仕事をしています。

この緊張感がたまりません。プロはやっぱりカッコいい!

 

だんだんと精度が上がっていくし、だんだんと本気度も増していきます。

スロースターターの人たちも火がついたようです。

目の色が変わっていくのは見ていても面白い。

スイッチが入る瞬間って、人それぞれですね。

 

なんかわけがわからない作品から、何かザラッとしたものを残せるかもしれない作品に進歩したんじゃないかと。

神は細部に宿るというか、演出の細部のこだわりもいい感じです。

進行役のたっちゃんもアシスタントのるいるいも判断も的確です。2人の意志の疎通がバッチリなので、どちらに聞いても明確な答えが返ってくる。

安心して身をまかせることができます。

ものすごくスタッフを信頼できるって嬉しいですね。

この関係性があるからこそ、舞台というものが作ることができるのでしょうね。

無駄な人などいないんですね。全員がパズルのピースなんだなと実感しています。

 

ラストシーンの合同稽古もいい感じです。

Aコースの人たちもBコースの人たちもいい顔しています。

大人の真剣な顔って魅かれるんだよな。

 

午後はお昼を食べて、ビデオを見て、曖昧なところを確認。

曖昧なところがあると、曖昧な動きになって、見ていてつまらないんです。

明確な意図がある動きには命が宿るのか、見ていると何か訴えかけられるような伝わるものがあるのです。

同じ舞台に上がっていても感じるものが違うんですよね。

意図があるというのは、迷いがない状態なんですね。

物事をハッキリさせるというは可能なんだと確信しました。

舞台を創るというのは、感性と理解が必要なんですね。

右脳的な要素と左脳的な要素のどちらも不可欠です。

 

みんなで率直にアイデアの交換が自然にできるようなチームにも仕上がってきました。

舞台だけでなく、人間関係もだんだんと構築されていい感じです。

「あれやりたい」と他の参加者から本番前日に爆弾発言?があったりもしましたが、まぁ今はそんな時期になってきたということでしょうね。

あれこれ足したくなる時には、あえて引き算のほうが大切になることが多いように思います。

 

16時過ぎまで稽古は続き、最後はみんなクタクタでした。

疲れているのを感じていないので、危険なゾーンに突入していました。

危険というのは、集中力が落ちていて、怪我をしやすい状態です。

なので家に帰るまで気を抜かずに帰ってきました。

「遠足は帰るまでが・・・」という昔言われたことを思い出したりして。

 

これからお風呂にゆっくり入って、オイルマッサージを自分にしてあげようと思います。

全身を使ったパフォーマンス。

明日はすべてをさらけだします!

地域の物語~みんなの結婚

■地域の物語~みんなの結婚
46名のワークショップ参加者+3名の進行役/演出家/劇作家/振付家による作品
日時:3月24日(日)15時開演
場所:シアタートラム(東京都世田谷区;三軒茶屋駅)
料金:無料
問い合わせはコチラから
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2013/03/post_325.html

当日券がでます。14時半から配布予定。
席数を増やしたので、きっと当日券で入れるでしょうと制作から案内がありました。