某経営者のコミュニティの主催の方が送ってくださった本
を僕にぜひ読んでと送って下さった。
なんだか面白そうとずっと山の中でハンモックに揺られながら
夜にも焚き火をしながら
ずっと読んでました。
物語形式なので誰もが読みやすく、専門知識も学べるというお得感がある本でもります。
僕が二十数年来、謎に思ってきたことがあるんです。
様々なセラピーを学んできました。
参加者の多くは変わろうとせずに、自分の傷をずっと見続ける人が多かったんです。
僕にとってのセラピーは自己変革という位置づけだったのです。
実際にライフチェンジをしました。
結婚もしたし、起業もした。変化をしながら成長するのがセラピーだったのです。
セラピーの技術の中で、ケアの技術はたくさんあるので、もちろん心の傷を癒してきました。
その癒しは変化のためにあるのだとうのが僕の考え方でした。
外国から来た創始者の方々から直接多くのことを学びたいと思っていたので、講座の中の参加者同士のセッションは限りなく短くして、話を聞きたいと思っていました。
ところが、それをシェアしてもほとんど人に賛同は得られず不満に感じていたんですよね。
この本を読んでわかったのは、セラピーと銘打っていてもケアを求めている人がほとんどだったということ。
変わろうという趣旨のコミュニティでも、実際にはケアを望んでいる人がほとんどだったんです。
それも不思議だったんですよね。
セラピーという自己変革を求めている人は少なく、ケアを求めている人がほどんどだという事実を認めることができたのは、この本を読んだからです。
ケアは痛みを除いたりやわらげたりするものであり、セラピーは傷や困難に立ち向かうものであったりするのです。
セラピーは痛みと向き合う必要があるのです。
僕自身はメンタルのセラピーもフィジカルのセラピーも学び提供していたんだけど、ケアの概念を受け入れられなかったんだなということだったんですね。
僕が幼少の頃からケアが必要な人たちに囲まれて育っているので、ケアが当たり前すぎたし、ケアを超えた何かを求めていたのでしょう。
強みとしてケアの才能があったのかもしれません。
ただ、それが嫌だったということがあるんです。
痛みに囲まれて生きる苦痛です。
その悲しみから自分を守るためにケアを否定していたのでしょうね。
20代の後半でセラピーに出会い、夢中になったのも当然の結果でしょう。
自分の傷を癒しながら、成長していったのですから。
この本には、ケアは日常であり、セラピーは非日常である。
ケアはニーズを満たすものであり、セラピーはニーズの変化である。
ケアは安全であり、セラピーは成長である。
ケアは平和であり、セラピーは事件である。
ケアは円であり、セラピーは線である。
ケアの重要性を知り、セラピーの良さを再認識しました。
さらに今セラピーを超える何かを手に入れた実感があります。
そのためには、今まで学んできた、カウンセリング、コーチング、ケア、セラピー、ファシリテーションの技術を全部捨てる覚悟が必要だと感じました。
シャワーを浴びながらふと思って、それを決断したら、急に軽くなったんです。
いったい何を重荷に感じていたのでしょうか。
次のステージに立てた気がするんですよね。
まだ言語化されていないのですが、キーワードは「リーダーシップ」です。
後ろから支える後方支援ではなく、前に立ち進んでいく力です。
本書の趣旨とは違いますが、大きな変化をもたらしてくれた1冊です。
ケア業界の闇についても書かれています。
なぜ人が辞めていくのかがよくわかります。
長く続けるのは人間の心理の構造上難しい。
制度の問題ですらないかもしれません。
そして、今、力を入れているハンモックフルネスもケアの要素があるなと。
ケアは自然の力がもたらしてくれる最大の喜びかもしれないと感じています。
時には休むことも必要だよね。人生を修行にしたらたまらんよ。
それぞれのワクワクを実践するために生まれてきたのが人間だと僕は思う。
■ハンモックフルネス
山の中でハンモックを使ったマインドフルネス
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